鮨とマグロを考える:塚越 至

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ケンタッキー州公認会計士   塚越 至
 先年、日本の食料自給率が40%を割ったことが報じられた。アメリカは農畜産物の純輸出国であるのに対して、日本では日々の食卓に並ぶ食材の6割は海外からの輸入品ということになる。


江戸前鮨も例外ではない。鮨ネタの大黒柱はマグロだ。日本近海で獲れる天然物が減る一方でその殆どを海外に依存するこの鮨ネタこそ、自給率の足を引っ張る主犯格のひとつに違いない。
 
当地のような日本文化と直接の接点に欠ける地でも、スーパーマーケットにプラスチックに詰められた持ち帰り鮨が登場するようになった。今や「sushi」は普通名詞として定着し、お陰で「wasabi」まで通用する時代だ。この最大の要因は、マグロの養殖が普及して食材としてどこででも手に入るようになったからだろう。
 鮨は寿司、時には「すし」とも書かれる。鮨を解説した書や情報誌の説明によると、語源は鮨の原型だった保存食の酢を混ぜた「酢飯」だそうだ。めが欠落して「すし」になったことから平仮名が正統派で、鮨は旨い魚、寿司は寿が司ると、それぞれお目出度いことに端を発した当て字だったことになる。
 鮨の起源は東南アジアの山地民族が利用していた魚の保存法が中国に渡り、その中国から日本に渡来したとするのが通説になっている。その日本では琵琶湖周辺で始まった鮒の馴れ鮨が千年の歴史を持つ最も古いものとされている。日本の鮨の本来の姿は関西で主流の押し鮨だった。
 広沢虎造の浪曲に、清水次郎長の子分、森の石松が四国八十八箇所の巡礼を終えた帰途、浪速から淀川を京に上る場面が出てくる。あの広く知られた、「鮨、食いねえ」の台詞だ。あれも握り鮨が未だ普及していなかった大阪のこと故、石松が手にしていたのは箱鮨だったことになり、筆者が幼少時代に抱いたイメージとは異なる。
 江戸前鮨の起源には色々の説があるようだ。17世紀半ばに起きた江戸の大火の際、非常食として握り飯の上に具を載せたものを被災者に配ったのが始まりとする説もあるが、今日、鮨と呼ばれる握り鮨は、案外歴史が浅く19世紀の発明だったようだ。
 目の前で握ったご飯の上に魚を載せて客に差し出す方式を最初に編み出したのは、19世紀初頭に江戸の下町である両国の地に店を出した花屋与平といわれる。やがて与平の鮨屋が侍の間で評判になると握り鮨を提供する店が数多く出現した。当時の鮨はいわばオヤツ代わりのスナックで、多くは屋台形式で今のようなレストラン方式ではなかった。ファーストフーズはアメリカが本場とされるが、この鮨だけでなく、屋台のおでん、夜鳴き蕎麦など、ファーストフーズの発想は江戸から明治にかけての日本の方がずっと先輩格といえる。かっては東京都内でも見かけた焼き芋の屋台などは最高傑作の部類であろう。  多くの鮨屋が存在した東京の下町は関東大震災で大部分が消失した。そのため、失業した鮨職人が東京を脱出し各地に散ったことから江戸前鮨が日本全国に広まることとなった。
 震災から立ち直った昭和初期の東京にはおよそ3千軒の鮨屋が存在したが、その三分の一近くが屋台方式だったそうだ。しかし、昭和14年、当局が衛生と道路交通上の理由から規制のための条例を出すとこの鮨の屋台は廃業に追いやられ、今のようなレストラン方式が一般的となった。
屋台では握る方が座り、客は立ち食いだったが、レストラン方式になってからは鮨職人が立って鮨を握り客がカウンターに座る今のスタイルが定着した。今日でもカウンターで食べることを鮨業界では「立ち」と呼ぶことに昔の姿が残っている。
 江戸前風の握り鮨を注文すると二貫出てくるのが通常だが、これは限られたネタしかなかった戦後の食料難時代に客に喜ばれるように二個出したのが始まりとされ、江戸時代からの伝統ではなかったことが面白い。
 鮨ネタとして欠かせないのがマグロ、それもトロだ。ところが、マグロは長い間脂肪分の多い下種な赤身魚として嫌われ、赤身を醤油で味付けして鮨ネタとして利用していた。トロ(トロけるの省略形)が持て囃されるようになるのは戦後の事で、どうもその理由は、食文化のアメリカ化の一環で日本人も牛肉を好むようになり、それまで見捨てられていた脂身が好まれることになったためらしい。松阪や神戸牛の霜降りとトロは同時代の産物と考えられる。今までに検索した資料類でも、大正時代以前にトロがネタとして登場した記録はないとされている。漱石や鴎外の作品にトロが登場しないのもうなずける。  そのマグロだが、魚業界に詳しい知人の説明では、普通に鮪と呼ばれるものはクロマグロを指すが、キハダ、ビンナガ、メバチなどもマグロの仲間だそうで、切り身を一見しただけでは一般人には見分けが容易ではないといえる。
 クロマグロは別名ホンマグロとも呼ばれ、若魚は群れをなして回遊するが成魚になると日本近海に戻る習性がある。しかし、最近は漁獲量が減る一方で、旬の冬に青森沖で捕獲されるものは最高級品として高価格で取引される。輸入品は冷凍されたものが多いが、広く知られたボストン沖の天然物や、後述するオーストラリアや、クロアチアやスペインなどの地中海沿岸で養殖されたものが生の状態で空輸されてきた。
 ミナミマグロは遠洋漁業の発達で日本の食材になった南半球が漁場のマグロで、インドマグロや豪州マグロとも呼ばれる。マグロ類では一番脂の乗りが良く、一時は鮨ネタの主流を占めたほどだ。
メバチは日本近海のものはその味はクロマグロに劣らないと定評だ。これも天然物が減り、豪州や南アジアから空輸された鮮魚が利用されているが、太平洋、インド洋、大西洋、地中海などで捕獲された冷凍物が多い。
ビンナガは日本の近海物が主で、鮮魚として出荷されるものが多い。、味は他のマグロに劣るが低価格のために、スーパーや外食産業のマグロのほとんどはこのビンナガで占められているそうだ。
キハダは年を通して広い海域で捕獲され、脂身が少ないために鮨のネタよりは刺身用とされているマグロだ。アメリカのスーパーに陳列されている切り身はこれと考えられる。
 高度成長のお陰で日本の食文化に余裕が出るにしたがって鮨を楽しむ機会が増えると、鮨ネタの主力であるマグロの需要も急速に拡大した。日本の遠洋漁業の技術が進歩しマグロを追って地中海にまで日本の漁船が出没して話題になったものだ。しかし、これらは冷凍物で鮮魚は漁獲量が低下する一方だった。
 海外から生のマグロを空輸しようと試みた先駆者は日本航空の貨物部門だった。貨物部門の商圏を拡大するには図体の大きなマグロは最適な貨物と考えられたからだ。
米国東海岸の最北端にメイン州がある。そのメイン州沖からニューファウンドランド島周辺に掛けては大西洋でも有数の漁場のひとつである。その一部にカナダ領のプリンス・エドワーズ島沖の漁場がある。小説「赤毛のアン」の舞台で知られるこの島の漁民は、網に掛かるマグロを厄介者扱いをして銃で殺していた。
1960年代の北米では、西海岸やニューヨークには日本人ビジネスマンを相手に日本食レストランが既に存在し、その鮨カウンターでは生の魚が提供されていたが、一般の消費者にとっては魚は缶詰で、アメリカ人やカナダ人には魚を生で食する習慣はなかった。赤身のマグロの利用方法がなく厄介者扱いを受けたのは当然で、このマグロを生で空輸する案には島の漁民は首を傾げるばかりだった。
説得の結果ようやく漁民の協力を得て、国内便でニューヨークに空輸し、そこからJALのDC8型貨物機で羽田に空輸する構想が動き出したのは1970年代の初頭だった。築地の魚市場に捕獲してから数日の鮮魚のマグロを届けるのが狙いだった。
魚は大気に触れると鮮度が落ちて変色し商品価値が急減する。市場が受け入れるようなレベルを実現すべく、輸送中の冷蔵方法など試行錯誤が重ねられた。その努力の結果、1972年8月14日に築地市場内の東都水産によってカナダ産のマグロが初の競に掛けられた。
日本周辺の天然物が減る一方で、海外からは冷凍物に依存していた鮨業界が、北米から空輸された鮮度の高いマグロを得るようになって鮨ブームを加速することとなった。高度成長の結果、所得倍増が実現し庶民の食生活に余裕が出たことも鮨ブームにプラスになった。その頃の筆者は東京駅前の丸の内が勤務地だったが、築地市場内に立ち食いの鮨カウンター店が出現し、職場の同僚と昼食に鮨を食すべくタクシーを飛ばしたものだ。
 世界中の天然物のマグロを追い回した日本の漁船団も、需要が拡大する一方で漁獲量が減じ始め、そこで投入されたのが養殖マグロの構想だった。
 オーストラリア南海岸の中央部から東寄りにポート・リンカーンの港町がある。日本のエビ漁の基地でもあったが、1970年代には日本資本が地元と組んでこの海域で捕獲されるマグロを日本向けに送り出す基地に使用していた。
しかし、天然物の漁獲量が低下したことに危機感を抱いたオーストラリア政府が1984年に捕獲枠を設定したこともあって、日本で研究開発されたマグロの養殖が投入された。近畿大学の研究陣による貢献が広く知られている。この養殖の試みは大成功で、一万四千人の住民に占めるマグロ関連の就労人口が二千人にも達し、ポート・リンカーンの町にはマグロ成金が出現するまでになり、ゴールド・ラッシュならぬツナ・ラッシュと呼ばれるほどだった。
戦後、世界各地の海域で漁獲量が急増した結果、カリフォルニア沿岸の鰯、ペルー沖のアンチョビ、カナダ沿岸の鱈などが濫獲によって姿を消す事態に陥った。日本向けのマグロに関しても資源保護を訴える声が起き、1969年に大西洋や地中海沿岸の諸国によって国際取り決めがなされ、「大西洋マグロ資源保護委員会(ICCAT)」が設立された。日本も署名している。
1999年、ICCATは地中海におけるマグロ漁獲の規制枠を設けた。OPECのマグロ版ともいえるこの規制枠にしたがって各国の取り分が定められている。しかし、OPECほどの結束は見られず闇取引が横行しているのが実情のようだ。特に、養殖が盛んな地中海では、各国が自己申告した値の倍近い養殖が行われているといわれ、その大部分が日本に向けて出荷されている。
衛星が撮影した海域の映像に、ICCATには報告されていない養殖池の丸い輪が浮き上がり問題にされたり、寄港が許されない港で冷凍マグロが積み込まれ、その船が日本の港に入港したことが目撃されるなど、スパイ映画もどきの出来事が繰り広げられている。つい最近も欧州諸国がマグロの輸出規制の一段の強化を唱え、マグロ価格高騰の恐れが報道された。マグロは、最早、単なる鮨ネタではなく、国際関係を左右する戦略物資のひとつになっているのだ。
 アメリカの鮨メニューにあって日本にはないものに「カリフォルニア・ロール」がある。海苔巻きはその黒い色と「sea weed」という語が災いしてアメリカでは鮨通でも避ける傾向が強い。しかし、接着剤としての海苔無しでは巻物は出来上がらない。そこで考えられたのが、焼き海苔を広げたその上に鮨飯を広げると、それをひっくり返して海苔の上に具を載せて巻く方式だった。これで黒い海苔は内部に巻かれて姿を消し、巻物も鮨メニューに残ることとなった。
 具にカリフォルニア産のアボカドを使用するなどアメリカ人の食感に訴えたこのカリフォルニア・ロールは、アメリカ中の鮨レストランで定番のひとつになっている。日本の事情に疎い市民のなかには、これこそがスシだと誤解している者も少なくない。
 このカリフォルニア・ロールを誰が最初に考案したかには諸説があるようだが、1964年にロスの日本人町であるリトル・トウキョウに出現した、鮨バーを加えた日本食レストランだった東京會舘の鮨職人が最初にメニューに加えたとするのが有力な説のようだ。
 リトル・トウキョウは映画スタジオに近いこともあり、かってはオードリー・ヘップバーンなどの人気スターが頻繁に訪れ、アメリカでの鮨ブームの先駆けとなった地である。
 アメリカの鮨レストランは今や日本人が少ない地方都市でも目にするようになった。これらの店では日本人でないスシ職人が多くなり、中には女性が握る店もある。それでも、一人当りの負担額が割安でないために誰でもが訪れる大衆レストランとは考えられず、アメリカ人で盛況な地方の鮨レストランは、弁護士や専門職などが多い州都や大学町など、所得が中程度以上の中堅都市に限られている。同じオリエンタル料理でもアメリカ各地に存在する中華レストランとは対照的だが、その中華チェーン店でもバイキングスタイルのメニューにスシを加えるところが増えた。
日本人が多く、日本事情に明るい米人が住む大都市には高級を謳い文句にした鮨レストランがある。ニューヨークのマンハッタンやラスベガス、ロッキー山中の高級リゾート地であるアスペンなどには、目の玉が出るほどの勘定書に遭遇する超高級鮨レストランも存在する。
鮨の食べ方については特に規則は存在しないとされているが、アメリカ人向けの解説書では、白身や貝類など、味がさっぱりしたものから始め、次に、エビや鮭、ウニやイクラ、ハマチなど、そして、メインにマグロやトロを味わい、最後に卵、となっているものが多い。
しかし、これをこなすことの出来るアメリカ人は余程の日本食通で、通常は貝類や白身を敬遠する傾向が強く、その上、ウニやイクラもダメで、結局、マグロを少々と巻物というのが行き着くところのようだ。卵も進んで好む者は少ない。鮨ブームといわれるものの、アメリカのスシは所詮この程度である。
最近はカウンターで、「ジンジャー下さい」とか「グリーンティーをお願い」とかを耳にする時代になった。「がり」や「むらさき」、「おあいそ」などは死語となりつつあるが、代表的なリーンな食品としてスシの国際化が進むことは喜ぶべきであろう。
何でも扱う総合商社に入社したものの配属先は機械部門で食品とは縁が薄く、その上、この十数年は日本食レストランさえ存在しないケンタッキー州南部の片田舎に住んでいることから、一級の鮨から遠のいて久しい。かって住んだシカゴ、ニューヨークのマンハッタンやカリフォルニアのオレンジ郡では頻繁に堪能したものだ。カウンター越しに蒐集した鮨に関するネタから思いつくまま拾い書きしてみた。
近年出版された英文の書では、「The Sushi Economy」Sasha Issenberg著 Gotham Books出版(2007)が好書である。昔勤務した商社の関連企業が、地中海から密かに回航された闇のマグロを清水港で受取った、というくだりも現れ、日米の鮨業界の詳細を紹介した書として話題になった。巻末に掲載された関連書も有益な資料である。上記の記述の一部も本書より引用したものであることを断って置く。
(完)