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2007年05月06日 07:32に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« 初の黒人大統領が生まれるか (塚越 至) | メイン | Desk from 代表幹事 »米国事業事始め 第十五章 人生のQCDMS (鈴木一広)
米国事業事始め
第十五章 人生のQCDMS
大昔の話、まだモーターの米国生産などは思いもつかない、ずっと以前の事、日本からの輸入時代の事ですから、1982年の頃の話です。
「モーターの取り付け部分に亀裂が入っていて使えない」
納入先からの苦情です。
不良現品を受け取ると、直ちに顕微鏡での破断面の組織検査をして、更に知り合いの大学の材料専門の教授にも破断部組織の検査、見解を求めました。
固い床面等への落下による衝撃破壊と断定されました。
調査を終えると、早速シカゴ郊外の顧客の工場を訪問致しました。
「こちらへ来る前に社内工程や輸送環境等、問題発生の可能性を調べてきましたが、まだ、完全な調査が出来ていません」
「亀裂発生のあらゆる可能性を調べて、再発を防ぎたいので、御社の工程も調べさせて下さい」
その説明も終わらない内に、かなり気の短い人だったんでしょう、品質マネージャーは華奢な感じの女性の方でしたが、何とモーターを手にとるや、いきなりカーペットの床へ叩きつけました。
「これで壊れていなければ、当社の責任では無い筈だ!」
「壊れているかどうか、直ぐに調べよ!」
と部下に命令するや早々に部屋を出ていってしまわれました。
可哀想に頭を抱え込んだ部下の人を励まして、工程の全てを調べましたが、顧客の工場では全く問題が見つかりませんでした。
翌日の調査で、近くの仮倉庫に問題がある事が判りました。
輸送業者が、トラックにフォークリフトを取り付けてやってきて、倉庫への積み下ろしを、誰もいない所で一人でやっているのを見ました。
幸いに正直な方でしたので、ここでの部品落下の事実も認めて下さいました。
そして、コンクリート床面までの高さからくる、部品落下に掛かるGの値が材料破壊限界値に相当する事が計算上からも検証できました。
この結果を元に、不良対策報告書や輸送、積み下ろし時の作業要領書も作成して、先方へ出向き、不良対策の報告をする事にしました。
「この話、ちょっと待って下さい。この調査経過を我が社の連中にも是非聞かせたいのです。不良報告会議ではなく勉強の場にしませんか?」
品質担当役員の一言で、不良対策報告が、急遽品質勉強会に変わりました。
不良報告会議が終わると夕食にも招待して頂けました。
この宴席での話です。
「日本の方達が、品質管理に真剣な事はよく判りました」
「でも、働き蜂みたいに働く貴方達日本人の“人生の品質管理”は、一体どうなっています?」
これは、ジョークでしたが、かなりショックな質問でした。
その後、「人生の品質―Quality of Life ?」という言葉を何度も思い出し、真剣に考える様になりました。
企業活動を行う上では、工場等の生産性をきちんと把握して、問題点をみつけ改善していく為に、管理項目として、品質(Q)、コスト(C)、納入率(D)にそれぞれ目標値を決めて、安全な環境(S)で、全員が協力(M)して目標を達成していかねばなりません。
しかも会社組織ですから、これを直接現場の仕事と考えずに、事務所で働く人達も含めた全社活動にしなければいけません。
一方私達が、生活の三分の一以上を過ごすのが働く職場です。そう、私達の人生のQCDMSを高めるにも、職場は無縁とは言えないのです。
この章では、仕事のQCDMS,私達の人生のQCDMSの話を整理してみたいと思います。
人生の品質:かねてからこの事に思いがありましたので、1989年に立ち上げたモーター生産会社では、これを経営姿勢の柱に致しました。
1) 仕事のQCDMSは“+E”で伸ばそう!
新拠点では、殆どの社員が自動車関係はもとより機械、電機等の工場には全く経験の無い人達でありました。
QCDMSと言う言葉も始めて耳にする訳ですから、先ず会社の仕組みや工場の仕組みの勉強をする必要がありました。
ただ、生産技術者をはじめ製造作業の指導員として、日本からやってきた駐在員の方達は、自分達の技術、技能さえ伝授すれば良いという誤解(?)がありましたから、実務をドンドン教え込みます。
そして、憶えの悪い現地社員に苛立ちを見せます。
工場勤めの経験も無い現地社員に対し、基礎教育を当然の様に受けてきた駐在員には、現地の人の“いい加減さ”何とも理解出来ないのです。
「奴らは、機械が壊れたと言ってくるが、壊れたのじゃなく壊しているんだ!おまけに、勝手にいじくりまわすから、原点がどこか判らん!」
これは、事実であって、憤慨する駐在員の気持ちも判ります。
「会社と言うのは、株主がいて、経営を依頼された役員がいて、役員は株主の意向にそって皆さんに仕事を頼みます」
「あんなピントのずれた話ばっかりでなくて、ちゃんと実務を中心にした教育をして欲しいよなあ~」
駐在員の中には、そんな感じを持った人がいたようです。
でも、何も判らない人達に闇雲に教えてもやはり無理なのです。
QCDとは一体何で?、何故これを管理するのか?判りません。
「正しい仕事が出来る様に“作業要領書”がありますよ」
正しい作業をしてもらい、生産状況が一目で判り、ムダがあれば直ぐ判り、対策が取れる様にQCD管理表が役立つ事を理解してもらう事です。
生産効率が悪いと会社の利益も出ず、皆さんに充分な給料を払うことも難しくなる事も説明しなければなりません。
それでも、工場の人達は、生産数量、不良個数、工数などの表が目の前にあって毎日全員でホローをしますから、何となく判る様になります。
工数低減活動をドンドン進めていって、12秒で作っていた物が10秒で出来る様になりますと労賃が20%安くなる訳です。
工場の人は素直に理解しますが、事務所の人達は、別な考えを持ちます。
「工場の人達がもっと頑張って9秒で出来たら」と期待します。
でも、「それは間違いです」と説明します。
「我が社では、例えば1秒当たりの労賃は約1セントだとします」
「でもこの労賃には、事務所で働く人達の給料も入っています」
「今は、会社の立ち上げ期で、直接工場で働く人の人数に比べ事務所の人の割合が多くなっています。だから、1セントの内で、半分ぐらいの労賃は事務所の皆さんで占めているのです。」
「工場側で、工数を更に1秒節約するのは大変な事ですが、皆さんが仕事の能率を倍増すれば、工数は同じでも、1秒あたりの労務費は25%以上安くなるので、工数低減と同じ効果が出るのです」
「しかも工場での改善と違って、設備改造等の費用もいらないのです」
この様に単純明快な説明をして、我が社が管理項目にしているQCDMSの改善活動は、会社全体の仕組みである事を全員に理解してもらいます。
特に、事務所の仕事では、思い付きで余分な仕事を部下に頼んでいないか?
製品のコストの中で6割以上を占める購入品を担当する購買には、ちゃんと正しい値段で買っているか?グループ各社の購買とも横の連絡をとって確認、勉強する様に頼みます。
工場のQCDMS表とは別に、管理部門の部門費削減の管理表を元に、勉強会を始めました。
すなわち、QCDMS改善の推進用プロペラとして“E”を追加したのです。
“E”は教育(Education)の“E”としました。
近来、多くの企業がQCDにプラスして“E”を追加されています。
その殆どは、環境管理(Environment)の頭文字の“E”であります。
私達が“E”を教育としたのには、会社の歴史が関係しているのです。
我々にとって、環境問題への対応は、はるか昔から既に安全の“S”の中に織り込み済みだからであります。
それは、日本の親会社が苦い歴史から学んだ経営の基本姿勢であります。
日本で、高度成長の“落とし子”公害問題が、問題視され始めたのは、昭和の40年代、メッキ工程を多く抱える本社は、廃水処理対策を中心に、作業の安全だけでなく工場活動全体に関わる安全対策に力を入れていました。
そんな矢先、主要工場のひとつで爆発事故を起こし、6名もの若者が尊い命を失うという大惨事がおきました。
会社のトップを含め全社員のショックは尋常のものではありませんでした。
会社は、直ちに「安全センター」を設置し、企業が関わる安全の全てについて見直し、製品の安全、設備の安全、工場作業、健康管理、環境問題、特に、近郊の市町村への環境管理への安全宣言とその実行に取り組みました。
奇しくもそれは政府が、初の「公害白書」を発表した年、昭和44年のこと、すなわち、1969年の事でありました。
さて、QCDMSに教育の“E”を追加する事が、会社活動全体のQCDMSを向上させ、社員と家族の安全と幸福の維持にも必要だと判断しましたので、各部全員がEの活動を始めました。それは“人の質”の向上が目的でありました。
2) 管理能力のない管理職
QCDMS管理による生産性改善では、トヨタ生産方式をはじめ、多くの改善手法がとられます。
その中でも、人の教育、特に職場の方針決定、目標管理の中心となる管理職の質の問題は重要です。
逆に言えば、職場のムダの中で管理能力の無い管理職がいる事のムダが最も大きなムダといえます。
立派な管理職とはどんな人であろうか?
「強いリーダーシップを持つ率先型の人、人の話が聞ける人格者」
こんな評価が一般にはある様ですが、その前に基本的な事があります。
それは、会社の抽象的な方針や目的を具体的な形に変換できる能力です。
例えば、社長が「5S-整理整頓をしましょう」といいます。
この方針、指示は、正しいのです。
しかし、課長さんや班長さんが社長を補佐する形で、同じ様に「5S-整理整頓をしましょう」と言っていては、いけないのです。
先輩から、これこそが「管理能力のない役職者」だと教えられました。
組み付け班の班長さんなら、こう言うべきです。
「製品にゴミが入ると製品機能に影響するので、作業台の掃除をする事」
保全の班長さんは、「使用頻度の少ない工具は作業台の周りに置くな!」
倉庫の課長さんは、安全や品質保証の為、こう言うでしょう。
「製品箱は3段以上積んではいけない」
「倉庫と通路の境界線をはっきり区別し、製品箱はいかなる理由があっても絶対にはみ出してはいけない!」
こういう具体的な指示が出せなければ良い管理職とは言えないのです。
会社の抽象的目的を各部門が具体化すること、これが企業活動を進める事になる訳ですから、これが出来ない役職者がいては会社が回っていかないのです。
3) 職場人生のQCDMS
さて、会社方針を具体的な表現でテーマとして掲げ、その実現の為、職場毎の年間計画を作る事は、出来る様になりました。
問題は、これをどう実行していくのか?
達成状況がきちんと測定できて、達成が困難な場合にどうするのか?といったホローをしていく実行活動には、かなりの外圧が必要でした。
工場が立ち上がり、いよいよ本生産が始まる前段階で、このホロー体制を通常のシステムとして確立する準備を始めました。
テスト流動の段階でしたが、部門毎の実行計画に対する達成状況を毎日確認して、その状況をリーダー達に報告してもらう発表会を持ちました。
後年になって、全マネージャーと社長の個別ヒヤリングに発展して行きましたが、この時点では、まず起きている事を見逃さずに確認、報告する習慣をつける事が目的でした。
発表会が始まって直ぐに、発表経験のない現地社員の中からは、能力チェックをされることへの不安や警戒心から反対が出てきました。
理由が面白いのです。
「このやり方は我々の知っているアメリカ式ではなく、日本式を押し付けないといった約束と違うのではないか?」
「これがお互いが認識を深めていく最も新しいアメリカ式です」
と説得して続行しました。
その内に、現地社員の中でも積極的に報告する人が出てきました。
管理という言葉の抵抗感を無くした事が良かった様です。
「皆さんは、管理されているのでは無く、会社目標の中から自分達の管理点をつくり、自分達で目標管理ができる自由があるのです」
「また、問題点を報告する事は、他部門からの知恵や支援が得られる良い機会になります」
報告する事で、物事が良い方向に進む実例を積み重ねました。
説明会では、駐在員の人達の協力も得て、余程腹に据えかねる場合を除き、報告、発表内容を誉める事に致しました。
よいマネージャーとは、抽象的な会社目標を理解し、具体化が出来る事、計画の実施にみんなの力を集められる事。問題があった時、率先して仲間を引き入れ対策できる人ですと具体的に表現してあげます。
実務経験の少ない人ほど、こういった説明に素直に反応します。
「なあ~んだ!そういう事なのか?」
「それなら、判りやすいから、出来ますよ!」
後で考えますと、この様な雰囲気を生産立ち上げ前の早い段階で、作った事が良い結果をもたらしました。
何よりも、改善が出来ると仕事が楽になり、人から喜ばれるという事実を知った事と他部門との連絡網が出来たことが成果でした。
会社立ち上げ時は、まるで“烏合の集”と言った感じがありましたので、管理者の教育が何より重要だったのです。
管理者の教育が会社のQCDMS向上の“要”でありましたが、それは又社員全員の職場での達成感や職場人生の質の向上を目指すものでありました。
その教育は、当然駐在員も含めた“全員教育”でなければなりませんでした。
当初、駐在員の中にはこれに不満もあったと思われます。
彼らは仕事の教育指導の為に派遣されてきた先生であり、またその自負を持った集団であったからです。
教育を受けるのに不満な人もいましたが、考えてみれば24名の駐在員の全てが始めての海外勤務でありましたから、何らかの教育は必要でした。
全員が英語も満足に話せない集団でありましたが、幸いにも仕事にかけては意欲にあふれたプロ根性の持ち主ばかりでありました。
新工場の発足に向けて、本社のトップに宣言した事がありました。
「この工場を、将来の国際化時代にふさわしい人を育成する“人間道場”にしてみます」その為にも、全員に立派な経験を積んで欲しいと願いました。
会社での仕事だけでなく、海外駐在というチャンスを生かし、全員が人生のQCDMSの向上を目指すこと。その教育の機会を作る事でした。
初めての海外勤務ですから、新しい勤務地で仕事の悩みもあるであろうし、更に異国での私生活では不安、悩みもある筈です。
だが、教育指導者である以上、弱音は吐けません。慣れない家族を抱えての生活での心配もひとりで抱え込む事になります。
「毎週金曜日に日本人だけで集まろう!」
「仕事面での横のつながりを強めたり、生活情報の連絡会にしよう」
こんな発想で、毎週金曜日、午後4時30分からの会議が始まりました。
始まると直ぐに問題が起きました。
「日本人だけが、集まって何やら秘密会談が持たれている様だ」
米人社員、特にマネージャーたちの声でありました。
これは、迂闊でした。我々が若し外資企業にいたら、おそらく同じ感情を持ったに違いありません。
「慣れない海外生活での悩みを聞いたり、情報交換をする為です」
「米人社員への技能指導も、言葉の壁などもあって充分に出来ない状況等も相談して、改善して行きたいのです」
早く生活にも慣れて、家族共々、立派な海外勤務をして欲しいという願いを込めて始めたもの、理解して欲しいと了解を求めました。
「それは素晴らしい。我々も出来るだけの応援をしましょう」
理由が判ると、直ぐ理解してくれるのも現地の人達で、実際、その後駐在員や家族への援助を惜しみなくやってくれました。
「7月の独立記念日の花火を見る場所は何処がいいですよ!」とか、、、、
「クリスマスでは街中のレストランが休むので、まだ単身生活の人達は、揃って我が家にきて下さい」
こんな情報などをも会議の前に届く様になりました。
会社で働くご主人方にはこういう形で教育の機会が生まれましたが、奥様方や家族の生活の質の向上をどうすべきか問題でありました。
とはいえ、家庭生活や主婦の生活上の悩みとその支援となると余り自信もないことから、結局家内に相談する事に致しました。
4) 楽しくTry, Try and Try / アメリカをもっと知ろう、旅に出よう!
1975年の事、カズは出張先から留守宅に電話を入れた。
出張が続く中で、幼子三人を抱えて不慣れな米国生活を始めたばかりの家内の事は、何時も気掛かりではあった。
電話に出た家内の声は元気で、弾んでいたが話の内容は驚きであった。
「末の娘が引き付けを起こしてね、熱も40度を超えててね、車で病院へ駆け込んだんですよ」
驚いた。彼女はペーパーテストが受かったばかり、これから運転の練習をはじめるところです。はっきり言って無免許、それに彼女には車も無いのだ。
自動車生産王国の日本といえども、運転免許保有者が6,000万人を超え、2人に1人が免許を持つ時代といわれたのも、やっと1990年末のことである。
だから、彼女の年代で無免許というのも不思議ではなく、まして当時の駐在員の奥さんが車を持てるかどうかは個人の経済事情次第であって、車を直ぐに買える程の余裕など無かった。
とはいえ、車社会のアメリカです。
特に、寒さの厳しい土地柄、厳冬期の歩行は命の危険を伴ないますから、来年には車を買いましょうと言って練習を始めたばかりであった。
まだ知人もなく、とても隣人に頼むほどの語学力もなく、一番近くに住む日本人同胞といえば、1,000キロ以上も離れたデトロイトであった。
とにかく、医者へ行きたいが、子供を家に残す事は法的に許されない。
直ぐに割り箸を真綿でくるむと娘の口へ押し込み、5歳の長女、3歳になった次女を起こし、介抱をまかせ、会社の大型車シボレーを使う事にした。
運転経験が余りないので、大型車の車幅感覚が判らず道路の中央寄りを「ゆっくり、ゆっくりと30キロほど離れた病院まで走りましたよ」というのだ。(無免許運転です―ごめんなさい!でも、この話もう時効ですね)
常日頃おとなしい女性もいざとなると何でもするものです!
「女は弱し、されど母は強し」という事でしょうか?今の時代では、もう何というのか知りませんが、、、
しかし、この時の思いは忘れられないものでした。
今の人達には、二度と同じ苦労を味わって欲しくないという思いで「アメリカ生活手帳の現地版」を作る事になりました。
アメリカ駐在員の心得は既に多くの書物が出ていましたが、やはり実用となるとその地域や自分達の実情に合ったものにする必要がありました。
「海外勤務の初期、会社で働く夫族の頼りとなるべき奥様も、足手まといになっているのが現実です。一日も早く、足手まといから脱却して楽しい海外生活を致しましょう」
そして、出来上がったのが「楽しくTry, Try and Try」小冊子でした。
そこには生活習慣、子女教育、緊急対策などの生活の知恵の他にこの街での買い物、レストランの情報などを入れてこの街ならではの生活帳になりました。
レストランの情報集めでは、二人で街中のお店を回って味見をしたり、人の評判を集めました。
さくらんぼ狩りや苺狩りも自分達で行ってみて、味の点でお勧めできるところ、家族で楽しめる雰囲気のところを選び案内書を作りました。
一方、これを利用する奥様方も、情報収集をして内容を充実させ、コンピューターに自信のある奥様が中心になって立派なWeb-site を作る事が出来ました。
後に、「ノースカロライナの風」というタイトルで米国内の関係会社をはじめ日本の本社への発信が出来て、新しく駐在になられる奥様方への現地の予備情報として活用されています。
また、仕事、仕事で明け暮れアメリカの素晴らしさを知る事もなく帰任される方が多く、これではアメリカを知ったとはいえず残念に思いました。
この為、次に手がけたのが、「アメリカをもっと知ろう、旅に出よう!」の編集でありました。
長い米国生活で、家族と旅したカナダ、アメリカ全土50州の旅の思い出の中から、ベスト50を選び、手書きの地図を付けて小冊子にまとめました。
これは、市販の旅行案内に比べ、みすぼらしいものですが、実際に歩いた街並みや立ち寄ったお店、レストランの印象等を入れたものにしました。
特に、食に未練があったのか?美味しい味の旅の記憶をたどり、その土地、土地に残る郷土の味などを書き込んで見ました。
これは会社関係だけでなく、街に住む仲間の人達の手にも渡りました。
生活の楽しさ、生きがいを見つける事や人の役に立つ事はあるものです。
既に前章でもお話した様に、この街には大規模な盆踊り大会があります。
数ある催し物の中に“習字コーナー”があります。
これは、米人の方の名前を漢字に変えて書いてあげるものですが、こちらの人は東洋文化の中でも漢字には特に興味を示します。
ただ、家内がこのコーナーでボランティアをしながら気がついたのは、即興で漢字を引き出す事の難しさです。
そこで、過去の実例から考えられる限りの米人の名前を追加して、発音に似た漢字を見つけ、漢和辞典を頼りに、名前に相応しい文字、男女の名前に合うもの等を調べながら、パソコンで手作り辞典を作りはじめました。
結局、何と集まった米人名が935、これに対応する漢字名が3,800を超える日英人名変換辞典が出来ました。
この辞書が、少しでもボランティアで働く人達の助けになる事を期待して、街の日本人会へ寄贈しました。
こんな小さな事も、人生の品質向上と勝手に解釈してよいのかも知れません。
人の国際化という言葉にもいろいろな解釈がありますが、やはり自分の仕事や生活だけにとらわれず、それぞれの国での出会いを大切にし、自分の住む国はどこであろうとも、他国で暮らす人達やその生活への思いが出来る事でしょうか。
海外勤務は、正に人生を生きたという実感、“人生の品質”を考える機会を与えてくれる。そんな気がします。
第十五章での教え:
1) 職場は、単に働くところという意識では良い職場とは言えません。働く人の人生を充実させる事が企業発展の原動力となるのです。
2) 海外生活は、自分自身の生き甲斐を見つめ直すまたとない機会です。それは人種、国民性により異なった生き甲斐を持つ人達を多く知る事が出来るからです。
3) ビジネス中心の考えが強いといわれる米国の職場で、今職場の生き甲斐がビジネスの成功に大きく関わっている事が注目されています。人の潜在能力を引き出させる事、これは企業の最大の課題なのです。
日時: 2007年05月06日 07:32 | パーマリンク
コメント (1)
Takeshi Yamaguchi:人生の品質管理とはなかなかいい言葉ですね。我々も少し真剣に考えなければならないと思います。たった一度の人生ですから。
投稿者: Takeshi Yamaguchi | 2007年08月05日 06:31
