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   <title>一般コラム</title>
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   <title>ＡＢＰＳを代表して、森健次郎様を偲ぶことば</title>
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   <published>2008-07-23T01:03:56Z</published>
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   <summary>　本日は、Alliance for Business Professional Services (&quot;略称ABPS&quot;) を代表いたしまして、僭越ながら私、加藤恵子が森健次郎様を「偲ぶことば」を申し上げ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.abps-us.org/g_column/">
      　本日は、Alliance for Business Professional Services (&quot;略称ABPS&quot;) を代表いたしまして、僭越ながら私、加藤恵子が森健次郎様を「偲ぶことば」を申し上げます。

　「ABPS」は、企業の再生と成長を、質の高いプロフェショナルサービスの提供を通じて支援し、間接的に日米の経済発展と友好関係の維持に貢献することを理念として、2003年2月に設立されました。ABPSは、クライアント、プロフェショナル、ビジネス、アカデミックが四位一体となり、一つ一つのビジネスに適した戦略を立て、成功へのサポートを提供する団体です。それぞれプロフェッショナルのメンバーの担当分野は、経営戦略、マーケティング、会計・財務、ＩＴ、人事・法務、製造に分かれております。現在メンバーは米国、日本、ｽﾍﾟｲﾝで約50名を数えます。
      <![CDATA[　森さんは、2003年度設立当時からのメンバーで、ＩＴ分野の責任者でもあり、初回のＡＢＰＳのウエッブ・ページの作成およびメインテナンスを担当されました。私は、2003年2月の設立会の席上で初めて森さんにお目にかかりました。その後もＡＢＰＳの例会でお会いしましたが、森さんと頻繁にお会いするようになりましたのは、幹事の篠崎さん、会計士の星野さんと中浦さん、森さんと私がセミナー委員を勤めた「基礎セミナーシリーズ」でした。セミナーは、2004年9月から翌年2005年11月まで計6回開催されました。森さんはこの間、日々のお仕事がお忙しいにもかかわらず、多くの時間を費やされ献身的にセミナーをサポートされました。この基礎セミナーは、始めから終わりまで、森さんがいらっしゃらなければ出来なかったとまでいえるものでした。ウエッブ・ページから基礎セミナー、森さんのＡＢＰＳへのご貢献は計り知れません。
　
森さんは、素晴らしいお人柄の方でした。
森さんは、職業、上下関係を問わず、どなたでも気軽に話しかける方でした。それは、ご自身のブログにもお書きになられていますが、大学をご卒業後、45カ国を旅行され、世界各国の人々に接し、生活されてきたことが関係しているのかもしれません。そして森さんとお話をしていると、驚くことは、あらゆることにご関心があり、造詣の深いことです。読書は時事、日本史、世界史からビジネスまで多岐にわたる書物をお読みになりました。またご趣味はクラッシック音楽、特にオペラがお好きであったと伺っております。ご自身のブログでも、ご専門のＩＴ関係から、経済、日本の政治、最近の若者の動向、アメリカの大統領選など多種多様の話題を取り上げられています。

このように多くのことにご関心をもたれたことは、実に森さんの座右の銘、「一日生涯」の所以と思います。常に人のためを思い、今日という一日に全力を投球し、完全燃焼して生涯を終えられたお姿に、深い感銘を覚えます。

　森さんは、栃木県ご出身でした。私ごとですが、実は、私の祖父が栃木県鹿沼出身で、奇遇にも森さんも鹿沼ご出身。それで初めて森さんとお会いした際に、語り口が私の親戚の人たちと似ているということから、とても親しみと安堵感を感じました。そして、語られる言葉は聴く人の心の琴線に触れました。

　ＩＴ関連会社の経営、JIFの副会長、ABPSのメンバーとしての活動以外に、日本経済新聞社の関係誌への執筆、調査業務、100回を優に超える日米での講演活動という多忙な傍ら、森さんはご家族をとても大事にされておられました。そして、ご家族の絆と思われるエピソードを、森さんが2006年に書かれたブログからご紹介します。
まず始めに、随筆のタイトルは<strong>「息子にご馳走してもらう」</strong>
　「7月29 日に嬉しい事があった。高校2年生の息子にご馳走してもらったのである。このような親孝行を受けたのは初めてだ。息子は前日までの3週間、妻が働く 会社でアルバイトをして、前日に給料をもらったのである。妻と私は息子の提案を聞いて、5ドルか10ドルで済ませるレストランを想定したが、息子は『もっ といい所に行こうよ』とのことで、妻と私は家の近くの日本食レストランで一人25ドルの豪勢な食事をご馳走になった。」
　そして次は、お嬢さんの出番です。
<strong>「娘にご馳走してもらう」</strong>と言う題です。
　「 娘が『家で食べよう』というので、私と娘が家の近くの日本食のテイクアウトを取りに行き息子も入れて4人で会食した。食べきれない物は息子が平らげた。　 そうして全員がおなか一杯になった。娘は大学1年生が終わり、５月中旬から3ヶ月の夏休みに入っている。結構働き者で、家の近くの米ファイナンス系の会社 で事務処理のバイトをやっていた。そのバイトが前日に終わり、給与をもらったので、我々がおこぼれに預ることができた分けだ。会食の喜びについて、『育てた甲斐があったよ！』という妻のひと言が印象に残った。考えてみれば、私が１０代の時に親にご馳走をした経験はない。妻に確認 したところ、やはり『ない』という。我々はいち早く親孝行を体験したわけだ。」
子煩悩の森さん、父親としての優しい眼差しが目に浮かびます。
私が想い出す森さんは、いつもおだやかで、座を盛り上げることがとてもお上手なことでした。会合や食事で、私が『その点は、ここが違うのですよ。その理由は、これこれ。』などと言ったときに決まって、『うん。それおもしろい。加藤さんにざぶとん3枚。』と、ＴＶの「笑点」の桂　歌丸師匠のように、話しが固くなったときや煮詰まった時に、ひょうひょうと座をなごやかにしてくださいました。
私が森さんに勧められていたことの一つに、オンライン・セミナーがあります。通常の会場を設置したセミナーでは、聴講できる人数が限られております。森さんは『オンライン・セミナーならば、世界中の人が参加可能だから、是非やった方が良いですよ。もしやりたくなったら、いつでも無料で設置してあげますよ』とおっしゃってくださいました。私は『いつかお願いします』と言ったまま、森さんとお別れになってしまいました。きっと天国からご覧になっている森さんは、こうおっしゃっているかもしれません。『加藤さん、モタモタしているから、チャンスを逃したじゃない。加藤さんからざぶとん5枚取って！』
　明るかった森さん、人間味溢れる森さん、ＡＢＰＳのメンバーはあなたの想い出を走馬灯のように想い浮かべておりますが、いよいよ、悲しい最後のお別れを
迎えます。

　本日、ここに森健次郎さんとお別れをするに当たり、ご遺族の桂子夫人、お嬢様香澄さん、ご子息賢太さんへ心よりお悔やみを申し上げます。また在天の森さんの御霊の安らかなることを心より祈念申し上げます。

　2008年7月16日

							    ＡＢＰＳを代表して、加藤恵子

<a href="http://www.mediajapan.com/mjblog/blogs/kenmori.php?title=au_a_la_ebsemda_a_ba_a_a&more=1&c=1&tb=1&pb=1" \o ">全文への永続的リンク</a>
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   <title>Desk from 代表幹事: June,2008 </title>
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   <published>2008-06-18T15:00:07Z</published>
   <updated>2008-06-18T15:03:22Z</updated>
   
   <summary>中国の大連にある東北財経済大学で国際マーケッティングの講義を昨年に続き、頼まれ、一年ぶりに山と海に囲まれた、人口６００万人を超える大都市、大連市を訪れた。先ず驚かされた事は、星海広場と言う天安門広場よ...</summary>
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      中国の大連にある東北財経済大学で国際マーケッティングの講義を昨年に続き、頼まれ、一年ぶりに山と海に囲まれた、人口６００万人を超える大都市、大連市を訪れた。先ず驚かされた事は、星海広場と言う天安門広場より大きな場所を
取り巻き、高層の豪華マンション群がびっしり立ち並び、そこだけ見るとアメリカと変わらなく、サンフランシスコあたりと錯覚するでしょう。
      ただ残念なことには、他の中国の大都市と同じように、車の数がやたら増え、
交通渋滞が起き、騒音と排気ガスで、数年前に訪れた時のような青い空に
新緑が美しく、白いアカシヤの花がすばらしいコントラストを見せてくれた
記憶が遠い昔になった気がします。
聞くところによりますと、新車の販売登録が毎日２００台と言う数で伸び、
大学の教授の皆様も車通勤をされている人も多数見受けられました。
日本ではガソリンの高騰から新車の販売が鈍化して、３０年前に近い状況だそうですが、中国では政府が政策的にコントロールしているため、ハイオク９７で
ガロンあたり、２ドル６０と信じられない世界一安い価格で売られているためにまだまだこれからも中国自動車産業は伸びるような気がする。
但し今年に入って中国を襲った２大経済現象は下記の
労働契約法の施行により労働条件が厳しく規定、実質労働賃金を上げた。
　　香港工業総会調査では人件費が２０%以上増加するとの回答が出ている。
中国の通貨、元が＄１．００換算で６元代に突入、今現在６．７元前後である。この部分もコスト上昇の大きな要因である。

この大きな環境の変化は、物価上昇に大影響を及ぼしただけでなく、「世界の
工場、中国｣の輸出実績を鈍化させた。

JETRO資料によると
中国第一四半期の輸出は前年同期の２１．４%増(’０２以来の低い伸び率)
　　米国　　　　　５．４％
　　日本　　　　１２．２％
　　EU　　　　　２４．１%(前年は３４．５％)　

しかしながら実際の衣食住は豚肉の高騰に見られるように、物によっては深刻ですが、全体的には５分の一という感覚です。食に関していえば１０分の一で、
大学のカフェテリアでは朝４０円、昼６０円、夜１１０円と言う感じです。
もちろんどの食事もおかず３品、白米かおかゆか蒸かしパンのチョイスがあります。タクシー初のり１３０円、運動帽２００円という経験をしました。
同時にスターバックスのカフェでは若者が列を作り、一杯３ドルのコーヒーを
飲んでいる姿に、理解の混乱を起こす方も多いと思います。

私の私見ですが、一言で現状を表すと
　　日本の場合は朝鮮戦争後軍需から立ち上がり、東京五輪、大阪万博、
　　円の変動相場制に移行までの２０年と中国がWTO加盟の２００１年から
　　人民元切り上げまでの５年のスピードの差が今日街で見られる現象と
　　となって理解の混乱を起こしているように思える。

ただ大学の若い中国学生との授業を通してすばらしいふれ合いと、感激を
いただく反面残念に思う事は、英語の表現力、コンピュータ熟達度、
そして熱意においては、日本で９月に母校で教えている学生との格差を
感じざるを得ない。


心より｢日本の若者よ元気を出せ、世界に向けて夢を持て｣とエールを送りたい。

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   <title>女性実業家 in US: 山田さん</title>
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   <published>2008-04-30T03:58:39Z</published>
   <updated>2008-04-30T03:59:10Z</updated>
   
   <summary>ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月） ファイルをダウンロード ...</summary>
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      <![CDATA[ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月）

<a href="http://www.abps-us.org/g_column/kigyo-gaikyo-yamada.pdf">ファイルをダウンロード</a>
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   <title>女性実業家 in US: 加藤さん</title>
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   <published>2008-04-30T03:57:47Z</published>
   <updated>2008-04-30T03:58:14Z</updated>
   
   <summary>ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月） ファイルをダウンロード ...</summary>
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      <![CDATA[ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月）

<a href="http://www.abps-us.org/g_column/kigyo-gaikyo-kato.pdf">ファイルをダウンロード</a>
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   <title>女性実業家 in US: 中西さん</title>
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   <published>2008-04-30T03:49:07Z</published>
   <updated>2008-04-30T03:56:47Z</updated>
   
   <summary>ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月） ファイルをダウンロード ...</summary>
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      <![CDATA[ABPSメンバーの女性実業家達が、北米ビジネスニュースペーパーである、企業概況ニュースから取材を受けました。(2008年3月）

<a href="http://www.abps-us.org/g_column/kigyo-gaikyo001%202.pdf">ファイルをダウンロード</a>
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   <title>Desk from 代表幹事</title>
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   <published>2008-04-30T03:32:16Z</published>
   <updated>2008-04-30T03:38:57Z</updated>
   
   <summary>April,2008 早いもので代表幹事就任より一年が過ぎました。一年を振り返るとABPS ウエブの再構築により検索機能を改善し、訪問者の画期的増加を図ると共に、会員全員のメディア露出度を上げABPS...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.abps-us.org/g_column/">
      April,2008

早いもので代表幹事就任より一年が過ぎました。一年を振り返るとABPS ウエブの再構築により検索機能を改善し、訪問者の画期的増加を図ると共に、会員全員のメディア露出度を上げABPSと会員のPRを図ることにより、この団体の信頼を深めてまいりました。


      <![CDATA[新しく営業部隊を結成し、ジェトロ、をはじめとする関係各所に協力もお願いしてまいりました。
同時にABPS日米相互協力の中で、東京本部との交流会を重ね、商社OBで結成された海外支援コンサルティング会社、「ジャイダック」との協力提携も試みました。

２００８年はもっと皆様のお役に立つように下記の取り組みを中心に実行させていただきますので、何なりと気軽に申し付けください。

<strong>講演サービス</strong>
失敗談
専門分野
　　会計、税務、IT,ブランドマーケッティング、
　　人事、労務、不動産、製造、流通、買収
　　提携、合弁、法務全般、インターネット
　　マーケッティング、イミグレーション

<strong>女性企業家成功物語</strong>
それぞれ３回から５回ぐらいのシリーズで開催
情報誌をベースに女性企業家メンバーの活動を紹介
代表女性による単行本出版

これらの活動はリアルタイムでウエブに掲載します。]]>
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   <title>米国事業事始め 第十五章　人生のＱＣＤＭＳ (鈴木一広）</title>
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   <published>2007-05-06T12:32:41Z</published>
   <updated>2007-06-25T12:34:25Z</updated>
   
   <summary>米国事業事始め 第十五章　　人生のＱＣＤＭＳ 　大昔の話、まだモーターの米国生産などは思いもつかない、ずっと以前の事、日本からの輸入時代の事ですから、１９８２年の頃の話です。 　「モーターの取り付け部...</summary>
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      米国事業事始め

第十五章　　人生のＱＣＤＭＳ

　大昔の話、まだモーターの米国生産などは思いもつかない、ずっと以前の事、日本からの輸入時代の事ですから、１９８２年の頃の話です。
　「モーターの取り付け部分に亀裂が入っていて使えない」
　納入先からの苦情です。
　不良現品を受け取ると、直ちに顕微鏡での破断面の組織検査をして、更に知り合いの大学の材料専門の教授にも破断部組織の検査、見解を求めました。
　固い床面等への落下による衝撃破壊と断定されました。
　調査を終えると、早速シカゴ郊外の顧客の工場を訪問致しました。

　「こちらへ来る前に社内工程や輸送環境等、問題発生の可能性を調べてきましたが、まだ、完全な調査が出来ていません」
　「亀裂発生のあらゆる可能性を調べて、再発を防ぎたいので、御社の工程も調べさせて下さい」
　その説明も終わらない内に、かなり気の短い人だったんでしょう、品質マネージャーは華奢な感じの女性の方でしたが、何とモーターを手にとるや、いきなりカーペットの床へ叩きつけました。


      「これで壊れていなければ、当社の責任では無い筈だ！」
「壊れているかどうか、直ぐに調べよ！」
　と部下に命令するや早々に部屋を出ていってしまわれました。
　可哀想に頭を抱え込んだ部下の人を励まして、工程の全てを調べましたが、顧客の工場では全く問題が見つかりませんでした。
　翌日の調査で、近くの仮倉庫に問題がある事が判りました。
　輸送業者が、トラックにフォークリフトを取り付けてやってきて、倉庫への積み下ろしを、誰もいない所で一人でやっているのを見ました。
　幸いに正直な方でしたので、ここでの部品落下の事実も認めて下さいました。
　そして、コンクリート床面までの高さからくる、部品落下に掛かるＧの値が材料破壊限界値に相当する事が計算上からも検証できました。

　この結果を元に、不良対策報告書や輸送、積み下ろし時の作業要領書も作成して、先方へ出向き、不良対策の報告をする事にしました。
　「この話、ちょっと待って下さい。この調査経過を我が社の連中にも是非聞かせたいのです。不良報告会議ではなく勉強の場にしませんか？」
　品質担当役員の一言で、不良対策報告が、急遽品質勉強会に変わりました。
　不良報告会議が終わると夕食にも招待して頂けました。
　この宴席での話です。
　「日本の方達が、品質管理に真剣な事はよく判りました」
　「でも、働き蜂みたいに働く貴方達日本人の“人生の品質管理”は、一体どうなっています？」
　これは、ジョークでしたが、かなりショックな質問でした。
　その後、「人生の品質―Quality of Life ?」という言葉を何度も思い出し、真剣に考える様になりました。

　企業活動を行う上では、工場等の生産性をきちんと把握して、問題点をみつけ改善していく為に、管理項目として、品質（Ｑ）、コスト（Ｃ）、納入率（Ｄ）にそれぞれ目標値を決めて、安全な環境（S）で、全員が協力（M）して目標を達成していかねばなりません。
　しかも会社組織ですから、これを直接現場の仕事と考えずに、事務所で働く人達も含めた全社活動にしなければいけません。
　一方私達が、生活の三分の一以上を過ごすのが働く職場です。そう、私達の人生のＱＣＤＭＳを高めるにも、職場は無縁とは言えないのです。
　この章では、仕事のＱＣＤＭＳ，私達の人生のＱＣＤＭＳの話を整理してみたいと思います。
　人生の品質：かねてからこの事に思いがありましたので、１９８９年に立ち上げたモーター生産会社では、これを経営姿勢の柱に致しました。

１）	仕事のＱＣＤＭＳは“＋Ｅ”で伸ばそう！

　新拠点では、殆どの社員が自動車関係はもとより機械、電機等の工場には全く経験の無い人達でありました。
　ＱＣＤＭＳと言う言葉も始めて耳にする訳ですから、先ず会社の仕組みや工場の仕組みの勉強をする必要がありました。
　ただ、生産技術者をはじめ製造作業の指導員として、日本からやってきた駐在員の方達は、自分達の技術、技能さえ伝授すれば良いという誤解（？）がありましたから、実務をドンドン教え込みます。
　そして、憶えの悪い現地社員に苛立ちを見せます。
　工場勤めの経験も無い現地社員に対し、基礎教育を当然の様に受けてきた駐在員には、現地の人の“いい加減さ”何とも理解出来ないのです。
　「奴らは、機械が壊れたと言ってくるが、壊れたのじゃなく壊しているんだ！おまけに、勝手にいじくりまわすから、原点がどこか判らん！」
　これは、事実であって、憤慨する駐在員の気持ちも判ります。
　「会社と言うのは、株主がいて、経営を依頼された役員がいて、役員は株主の意向にそって皆さんに仕事を頼みます」
　「あんなピントのずれた話ばっかりでなくて、ちゃんと実務を中心にした教育をして欲しいよなあ～」
　駐在員の中には、そんな感じを持った人がいたようです。
　でも、何も判らない人達に闇雲に教えてもやはり無理なのです。
　ＱＣＤとは一体何で？、何故これを管理するのか？判りません。
　「正しい仕事が出来る様に“作業要領書”がありますよ」
　正しい作業をしてもらい、生産状況が一目で判り、ムダがあれば直ぐ判り、対策が取れる様にＱＣＤ管理表が役立つ事を理解してもらう事です。
　生産効率が悪いと会社の利益も出ず、皆さんに充分な給料を払うことも難しくなる事も説明しなければなりません。

　それでも、工場の人達は、生産数量、不良個数、工数などの表が目の前にあって毎日全員でホローをしますから、何となく判る様になります。
　工数低減活動をドンドン進めていって、１２秒で作っていた物が１０秒で出来る様になりますと労賃が２０％安くなる訳です。
　工場の人は素直に理解しますが、事務所の人達は、別な考えを持ちます。
　「工場の人達がもっと頑張って９秒で出来たら」と期待します。
　でも、「それは間違いです」と説明します。
　「我が社では、例えば１秒当たりの労賃は約１セントだとします」
　「でもこの労賃には、事務所で働く人達の給料も入っています」
　「今は、会社の立ち上げ期で、直接工場で働く人の人数に比べ事務所の人の割合が多くなっています。だから、１セントの内で、半分ぐらいの労賃は事務所の皆さんで占めているのです。」
　「工場側で、工数を更に１秒節約するのは大変な事ですが、皆さんが仕事の能率を倍増すれば、工数は同じでも、１秒あたりの労務費は２５％以上安くなるので、工数低減と同じ効果が出るのです」
　「しかも工場での改善と違って、設備改造等の費用もいらないのです」

　この様に単純明快な説明をして、我が社が管理項目にしているＱＣＤＭＳの改善活動は、会社全体の仕組みである事を全員に理解してもらいます。
　特に、事務所の仕事では、思い付きで余分な仕事を部下に頼んでいないか？
　製品のコストの中で６割以上を占める購入品を担当する購買には、ちゃんと正しい値段で買っているか？グループ各社の購買とも横の連絡をとって確認、勉強する様に頼みます。
　工場のQCDMS表とは別に、管理部門の部門費削減の管理表を元に、勉強会を始めました。
　すなわち、ＱＣＤＭＳ改善の推進用プロペラとして“Ｅ”を追加したのです。
　“Ｅ”は教育（Education）の“Ｅ”としました。
 　近来、多くの企業がＱＣＤにプラスして“Ｅ”を追加されています。
　その殆どは、環境管理（Environment）の頭文字の“Ｅ”であります。
　私達が“Ｅ”を教育としたのには、会社の歴史が関係しているのです。
　我々にとって、環境問題への対応は、はるか昔から既に安全の“Ｓ”の中に織り込み済みだからであります。
　それは、日本の親会社が苦い歴史から学んだ経営の基本姿勢であります。
　日本で、高度成長の“落とし子”公害問題が、問題視され始めたのは、昭和の４０年代、メッキ工程を多く抱える本社は、廃水処理対策を中心に、作業の安全だけでなく工場活動全体に関わる安全対策に力を入れていました。
　そんな矢先、主要工場のひとつで爆発事故を起こし、６名もの若者が尊い命を失うという大惨事がおきました。
　会社のトップを含め全社員のショックは尋常のものではありませんでした。
　会社は、直ちに「安全センター」を設置し、企業が関わる安全の全てについて見直し、製品の安全、設備の安全、工場作業、健康管理、環境問題、特に、近郊の市町村への環境管理への安全宣言とその実行に取り組みました。
　奇しくもそれは政府が、初の「公害白書」を発表した年、昭和４４年のこと、すなわち、１９６９年の事でありました。

　さて、QCDMSに教育の“Ｅ”を追加する事が、会社活動全体のＱＣＤMSを向上させ、社員と家族の安全と幸福の維持にも必要だと判断しましたので、各部全員がＥの活動を始めました。それは“人の質”の向上が目的でありました。

２）	管理能力のない管理職

　ＱＣＤＭＳ管理による生産性改善では、トヨタ生産方式をはじめ、多くの改善手法がとられます。
　その中でも、人の教育、特に職場の方針決定、目標管理の中心となる管理職の質の問題は重要です。
　逆に言えば、職場のムダの中で管理能力の無い管理職がいる事のムダが最も大きなムダといえます。
　立派な管理職とはどんな人であろうか？
　「強いリーダーシップを持つ率先型の人、人の話が聞ける人格者」
　こんな評価が一般にはある様ですが、その前に基本的な事があります。
　それは、会社の抽象的な方針や目的を具体的な形に変換できる能力です。
　例えば、社長が「５Ｓ－整理整頓をしましょう」といいます。
　この方針、指示は、正しいのです。
　しかし、課長さんや班長さんが社長を補佐する形で、同じ様に「５S－整理整頓をしましょう」と言っていては、いけないのです。
　先輩から、これこそが「管理能力のない役職者」だと教えられました。
　組み付け班の班長さんなら、こう言うべきです。
　「製品にゴミが入ると製品機能に影響するので、作業台の掃除をする事」
　保全の班長さんは、「使用頻度の少ない工具は作業台の周りに置くな！」
　倉庫の課長さんは、安全や品質保証の為、こう言うでしょう。
　「製品箱は３段以上積んではいけない」
　「倉庫と通路の境界線をはっきり区別し、製品箱はいかなる理由があっても絶対にはみ出してはいけない！」
　こういう具体的な指示が出せなければ良い管理職とは言えないのです。

　会社の抽象的目的を各部門が具体化すること、これが企業活動を進める事になる訳ですから、これが出来ない役職者がいては会社が回っていかないのです。

３）	職場人生のQCDMS

　さて、会社方針を具体的な表現でテーマとして掲げ、その実現の為、職場毎の年間計画を作る事は、出来る様になりました。
　問題は、これをどう実行していくのか？
　達成状況がきちんと測定できて、達成が困難な場合にどうするのか？といったホローをしていく実行活動には、かなりの外圧が必要でした。
　工場が立ち上がり、いよいよ本生産が始まる前段階で、このホロー体制を通常のシステムとして確立する準備を始めました。
　テスト流動の段階でしたが、部門毎の実行計画に対する達成状況を毎日確認して、その状況をリーダー達に報告してもらう発表会を持ちました。
　後年になって、全マネージャーと社長の個別ヒヤリングに発展して行きましたが、この時点では、まず起きている事を見逃さずに確認、報告する習慣をつける事が目的でした。
　発表会が始まって直ぐに、発表経験のない現地社員の中からは、能力チェックをされることへの不安や警戒心から反対が出てきました。
　理由が面白いのです。
　「このやり方は我々の知っているアメリカ式ではなく、日本式を押し付けないといった約束と違うのではないか？」
　「これがお互いが認識を深めていく最も新しいアメリカ式です」
と説得して続行しました。
　その内に、現地社員の中でも積極的に報告する人が出てきました。
　管理という言葉の抵抗感を無くした事が良かった様です。
　「皆さんは、管理されているのでは無く、会社目標の中から自分達の管理点をつくり、自分達で目標管理ができる自由があるのです」
　「また、問題点を報告する事は、他部門からの知恵や支援が得られる良い機会になります」
　報告する事で、物事が良い方向に進む実例を積み重ねました。
　説明会では、駐在員の人達の協力も得て、余程腹に据えかねる場合を除き、報告、発表内容を誉める事に致しました。
　よいマネージャーとは、抽象的な会社目標を理解し、具体化が出来る事、計画の実施にみんなの力を集められる事。問題があった時、率先して仲間を引き入れ対策できる人ですと具体的に表現してあげます。
　実務経験の少ない人ほど、こういった説明に素直に反応します。
　「なあ～んだ！そういう事なのか？」
　「それなら、判りやすいから、出来ますよ！」
　後で考えますと、この様な雰囲気を生産立ち上げ前の早い段階で、作った事が良い結果をもたらしました。
　何よりも、改善が出来ると仕事が楽になり、人から喜ばれるという事実を知った事と他部門との連絡網が出来たことが成果でした。
　会社立ち上げ時は、まるで“烏合の集”と言った感じがありましたので、管理者の教育が何より重要だったのです。
　管理者の教育が会社のＱＣＤＭＳ向上の“要”でありましたが、それは又社員全員の職場での達成感や職場人生の質の向上を目指すものでありました。
　その教育は、当然駐在員も含めた“全員教育”でなければなりませんでした。
　当初、駐在員の中にはこれに不満もあったと思われます。
　彼らは仕事の教育指導の為に派遣されてきた先生であり、またその自負を持った集団であったからです。
　教育を受けるのに不満な人もいましたが、考えてみれば24名の駐在員の全てが始めての海外勤務でありましたから、何らかの教育は必要でした。
　全員が英語も満足に話せない集団でありましたが、幸いにも仕事にかけては意欲にあふれたプロ根性の持ち主ばかりでありました。
　新工場の発足に向けて、本社のトップに宣言した事がありました。
　「この工場を、将来の国際化時代にふさわしい人を育成する“人間道場”にしてみます」その為にも、全員に立派な経験を積んで欲しいと願いました。
　会社での仕事だけでなく、海外駐在というチャンスを生かし、全員が人生のQCDMSの向上を目指すこと。その教育の機会を作る事でした。

　初めての海外勤務ですから、新しい勤務地で仕事の悩みもあるであろうし、更に異国での私生活では不安、悩みもある筈です。
　だが、教育指導者である以上、弱音は吐けません。慣れない家族を抱えての生活での心配もひとりで抱え込む事になります。
　「毎週金曜日に日本人だけで集まろう！」
　「仕事面での横のつながりを強めたり、生活情報の連絡会にしよう」
　こんな発想で、毎週金曜日、午後4時３０分からの会議が始まりました。
　始まると直ぐに問題が起きました。
　「日本人だけが、集まって何やら秘密会談が持たれている様だ」
　米人社員、特にマネージャーたちの声でありました。
　これは、迂闊でした。我々が若し外資企業にいたら、おそらく同じ感情を持ったに違いありません。
　「慣れない海外生活での悩みを聞いたり、情報交換をする為です」
　「米人社員への技能指導も、言葉の壁などもあって充分に出来ない状況等も相談して、改善して行きたいのです」
　早く生活にも慣れて、家族共々、立派な海外勤務をして欲しいという願いを込めて始めたもの、理解して欲しいと了解を求めました。
　「それは素晴らしい。我々も出来るだけの応援をしましょう」
　理由が判ると、直ぐ理解してくれるのも現地の人達で、実際、その後駐在員や家族への援助を惜しみなくやってくれました。
　「７月の独立記念日の花火を見る場所は何処がいいですよ！」とか、、、、
　「クリスマスでは街中のレストランが休むので、まだ単身生活の人達は、揃って我が家にきて下さい」
　こんな情報などをも会議の前に届く様になりました。
　会社で働くご主人方にはこういう形で教育の機会が生まれましたが、奥様方や家族の生活の質の向上をどうすべきか問題でありました。
　とはいえ、家庭生活や主婦の生活上の悩みとその支援となると余り自信もないことから、結局家内に相談する事に致しました。

４）	楽しくTry, Try and Try / アメリカをもっと知ろう、旅に出よう！

　１９７５年の事、カズは出張先から留守宅に電話を入れた。
　出張が続く中で、幼子三人を抱えて不慣れな米国生活を始めたばかりの家内の事は、何時も気掛かりではあった。
　電話に出た家内の声は元気で、弾んでいたが話の内容は驚きであった。
　「末の娘が引き付けを起こしてね、熱も４０度を超えててね、車で病院へ駆け込んだんですよ」
　驚いた。彼女はペーパーテストが受かったばかり、これから運転の練習をはじめるところです。はっきり言って無免許、それに彼女には車も無いのだ。
　自動車生産王国の日本といえども、運転免許保有者が6,000万人を超え、2人に1人が免許を持つ時代といわれたのも、やっと1990年末のことである。
　だから、彼女の年代で無免許というのも不思議ではなく、まして当時の駐在員の奥さんが車を持てるかどうかは個人の経済事情次第であって、車を直ぐに買える程の余裕など無かった。
　とはいえ、車社会のアメリカです。
　特に、寒さの厳しい土地柄、厳冬期の歩行は命の危険を伴ないますから、来年には車を買いましょうと言って練習を始めたばかりであった。
　まだ知人もなく、とても隣人に頼むほどの語学力もなく、一番近くに住む日本人同胞といえば、1,000キロ以上も離れたデトロイトであった。
　とにかく、医者へ行きたいが、子供を家に残す事は法的に許されない。
　直ぐに割り箸を真綿でくるむと娘の口へ押し込み、５歳の長女、3歳になった次女を起こし、介抱をまかせ、会社の大型車シボレーを使う事にした。
　運転経験が余りないので、大型車の車幅感覚が判らず道路の中央寄りを「ゆっくり、ゆっくりと３０キロほど離れた病院まで走りましたよ」というのだ。（無免許運転です―ごめんなさい！でも、この話もう時効ですね）
　常日頃おとなしい女性もいざとなると何でもするものです！
「女は弱し、されど母は強し」という事でしょうか？今の時代では、もう何というのか知りませんが、、、

　しかし、この時の思いは忘れられないものでした。
　今の人達には、二度と同じ苦労を味わって欲しくないという思いで「アメリカ生活手帳の現地版」を作る事になりました。
　アメリカ駐在員の心得は既に多くの書物が出ていましたが、やはり実用となるとその地域や自分達の実情に合ったものにする必要がありました。
　「海外勤務の初期、会社で働く夫族の頼りとなるべき奥様も、足手まといになっているのが現実です。一日も早く、足手まといから脱却して楽しい海外生活を致しましょう」
　そして、出来上がったのが「楽しくTry, Try and Try」小冊子でした。
　そこには生活習慣、子女教育、緊急対策などの生活の知恵の他にこの街での買い物、レストランの情報などを入れてこの街ならではの生活帳になりました。
　レストランの情報集めでは、二人で街中のお店を回って味見をしたり、人の評判を集めました。
　さくらんぼ狩りや苺狩りも自分達で行ってみて、味の点でお勧めできるところ、家族で楽しめる雰囲気のところを選び案内書を作りました。
　一方、これを利用する奥様方も、情報収集をして内容を充実させ、コンピューターに自信のある奥様が中心になって立派なWeb-site を作る事が出来ました。
　後に、「ノースカロライナの風」というタイトルで米国内の関係会社をはじめ日本の本社への発信が出来て、新しく駐在になられる奥様方への現地の予備情報として活用されています。

　また、仕事、仕事で明け暮れアメリカの素晴らしさを知る事もなく帰任される方が多く、これではアメリカを知ったとはいえず残念に思いました。
　この為、次に手がけたのが、「アメリカをもっと知ろう、旅に出よう！」の編集でありました。
　長い米国生活で、家族と旅したカナダ、アメリカ全土５０州の旅の思い出の中から、ベスト５０を選び、手書きの地図を付けて小冊子にまとめました。
　これは、市販の旅行案内に比べ、みすぼらしいものですが、実際に歩いた街並みや立ち寄ったお店、レストランの印象等を入れたものにしました。
　特に、食に未練があったのか？美味しい味の旅の記憶をたどり、その土地、土地に残る郷土の味などを書き込んで見ました。
　これは会社関係だけでなく、街に住む仲間の人達の手にも渡りました。

　生活の楽しさ、生きがいを見つける事や人の役に立つ事はあるものです。
　既に前章でもお話した様に、この街には大規模な盆踊り大会があります。
　数ある催し物の中に“習字コーナー”があります。
　これは、米人の方の名前を漢字に変えて書いてあげるものですが、こちらの人は東洋文化の中でも漢字には特に興味を示します。
　ただ、家内がこのコーナーでボランティアをしながら気がついたのは、即興で漢字を引き出す事の難しさです。
　そこで、過去の実例から考えられる限りの米人の名前を追加して、発音に似た漢字を見つけ、漢和辞典を頼りに、名前に相応しい文字、男女の名前に合うもの等を調べながら、パソコンで手作り辞典を作りはじめました。
　結局、何と集まった米人名が９３５、これに対応する漢字名が3,800を超える日英人名変換辞典が出来ました。
　この辞書が、少しでもボランティアで働く人達の助けになる事を期待して、街の日本人会へ寄贈しました。
　こんな小さな事も、人生の品質向上と勝手に解釈してよいのかも知れません。

　人の国際化という言葉にもいろいろな解釈がありますが、やはり自分の仕事や生活だけにとらわれず、それぞれの国での出会いを大切にし、自分の住む国はどこであろうとも、他国で暮らす人達やその生活への思いが出来る事でしょうか。
　海外勤務は、正に人生を生きたという実感、“人生の品質”を考える機会を与えてくれる。そんな気がします。


第十五章での教え：

１）	職場は、単に働くところという意識では良い職場とは言えません。働く人の人生を充実させる事が企業発展の原動力となるのです。
２）	海外生活は、自分自身の生き甲斐を見つめ直すまたとない機会です。それは人種、国民性により異なった生き甲斐を持つ人達を多く知る事が出来るからです。
３）	ビジネス中心の考えが強いといわれる米国の職場で、今職場の生き甲斐がビジネスの成功に大きく関わっている事が注目されています。人の潜在能力を引き出させる事、これは企業の最大の課題なのです。
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   <title>初の黒人大統領が生まれるか (塚越　至）</title>
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   <published>2007-04-04T12:43:51Z</published>
   <updated>2007-06-25T12:56:14Z</updated>
   
   <summary>初の黒人大統領が生まれるか 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　塚越　至 　 現行の米選挙資金規制法は、大統領選挙に名乗りをあげた候補者に、1月から3月末までに集めた献金の収入報...</summary>
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      初の黒人大統領が生まれるか

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　塚越　至
　
現行の米選挙資金規制法は、大統領選挙に名乗りをあげた候補者に、1月から3月末までに集めた献金の収入報告を4月15日までに連邦選挙委員会に提出することを義務付けている。このほどその報告結果が公開された。

　かねてから最も有望視されているヒラリー・クリントンが民主党候補者の中で最高額を獲得したのは予想通りだったが、黒人候補として急激に台頭してきたイリノイ州選出のバラック・オバマ上院議員が、僅少差の二千五百万ドルもの献金を集め注目されている。黒人の若手候補という異色性だけでなく、今後の選挙運動を左右する選挙資金の調達でも他のベテラン候補と遜色がないことを証明し、クリントンと並ぶ有力候補者の位置を占めたことになる。


      　クリントン陣営にとってオバマ候補が脅威なのは、集めた献金の総額だけでなく、その調達内容の違いにある。
クリントンは、依然として民主党支持者の間では人気がある夫の筋や伝統的な民主党の支持基盤である労組などの献金の窓口となっている政治活動委員会（PAC）よりの献金比率が高い。これに対して、オバマ候補の場合は少額の個人献金が大半を占めていて、一人当たりの平均寄付額が百ドルを下回ると報道された。
これは、これまでに勢力を伸ばしてきた共和党の草の根作戦のコピーに他ならない。選挙民に広く浸透するこの方式が選挙の際の票集めに有効なことは共和党の例が実証済みである。

オバマはケニア出身の黒人男性とカンザス州出身の白人女性の間にハワイで生まれた。その後両親が離婚し、母親がインドネシア人と再婚したために、近親にアフリカ黒人とアジア人を持ち、本人は黒人女性と結婚して二人の女児を持つ異色の政治家である。
　1983年にコロンビア大学を卒業後、1985年にシカゴに移住し、アメリカでも最も深刻な貧困問題を抱えることで知られるシカゴ南部の貧民街で職業訓練や貧困対策に取り組んだ。以来、シカゴがオバマの政治活動の本拠地になっており、現在もシカゴ南部に自宅を構えている。
その後ハーバードのロー・スクールに進学し、黒人では初の同校の機関紙の編集長を務めた。ロー・スクールを卒業後、民間の弁護士事務所に勤務したが、1992年にビル・クリントンの大統領選挙活動に参加し、政界に足を踏み込んだ。民主党内ではクリントンと同じく右派よりのリベラルと見なされている。
　
　上院では、外交委員会、退役軍人委員会、教育・労働・年金委員会、テロ対策を扱う国家安全委員会に委員として参加している。最も得意をとするのは選挙区で培った貧困対策や高齢者への年金問題、教育などの内政だ。
イラク戦の収拾については、軍事解決は不可能なことで、アメリカはイラク政府に早い時期に政治と軍活動をバトンタッチすべく、撤退時期を明確にすべきとの姿勢である。

オバマが急激に台頭してきた要因として、アメリカの一般選挙民が、失政続きの現政府に失望し、過去との絆を断ち切った新たな指導者に飢えていることが指摘される。
現大統領のブッシュが僅少差でゴア陣営に勝った2000年の大統領選挙では、その保守性と信心深い宗教観が、スキャンダルに塗れたクリントンに代表される民主党主流とは異なる政治家として選挙民には新鮮に映った。本人はそれほど優秀ではないが、度外れた過ちを犯さない安全牌に選挙民は票を投じたのだった。元々保守性の強い中西部に加えて、南西部や民主党の基盤であった深南部の保守化の潮流にも上手く乗った結果と言える。

しかし、同時テロが起き、有事に対応するには高度な政策運営の手腕が肝要な場面で、最早平常時の安全牌では打開が困難なことを痛切に感じ、有事に対処すべき資質に欠ける指導者を選出してしまったことを一番悔いているのが大方の有権者である。
オバマだけでなく次回の大領領選挙では、従来以上に指導者としての資質が問われることになろう。過ちを率直に認め、手早い修正を施すのがアメリカの伝統でもある。候補者のイメージやムードに左右されずに人物を見極めることに有権者は躍起となろう。
オバマにはひょっとしてその資質があるのではないか？これが、同候補者の肌の黒白だけではなく、注目を集める理由の底流にあると思われる。

1961年生まれの45歳は、ケネディーが大統領就任時に44歳だったことを考えれば、決して若過ぎる歳ではない。
共和党内にはオバマに相当する新鮮味に溢れた新人候補は見当たらない。イラク戦争の混迷に飽き飽きした中間層が鞍替えする可能性は大いにあり、予備選を控えて見応えのある場面が続くことになろう。
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   <title>米国事業事始め 第十四章　差別を無くして/モラルを高めて（鈴木一広）</title>
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   <published>2007-03-15T12:57:22Z</published>
   <updated>2007-06-25T13:03:07Z</updated>
   
   <summary>米国事業事始め 第十四章　　差別を無くして/モラルを高めて 　企業活動をする上で、トップが取り組まねばならないのは、誰もが不等な差別などを受けずに、働く事の出来る職場環境を作る事でありましょう。 　駐...</summary>
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      米国事業事始め

第十四章　　差別を無くして/モラルを高めて

　企業活動をする上で、トップが取り組まねばならないのは、誰もが不等な差別などを受けずに、働く事の出来る職場環境を作る事でありましょう。
　駐在員たちの多くが、米国での人種差別の問題に不安を抱いてやってきます。
　特に、日系企業のトップの人達は、人種問題の実態が判らないだけに、どこまで深く入り込む事が出来るのか？不安を感じます。
　しかし、社内のモラルを向上し、強い協力体制を築くには、平等、公平といった人事上の最重要事項は、何としても守らねばなりません。
　どんなに難しくても、差別の問題を無視して通る事は出来ないのです。

１）	差別と区別の論議
　
　日本企業の米国進出も、初期には大手商社か、メーカーでも大手の営業活動に限られていましたから、現地社員も少なくてすみました。
　しかし、時代が移り、各企業が生産拠点として進出を始めますと、現地での人の採用面では大きく事情が変ってきます。
　労務費、物流、顧客、土地面積、地域の環境問題などの検討から、拠点選定が行われますが、殆どの拠点は大都会から地方都市部へと移ります。
　工場での間接又は直接作業員を大量に確保する上からも、今までと違って多種多様の人材、時には他国籍の人達を採用する事にもなります。
　日本では経験しなかった、人種の壁と言う問題に直面する事にもなります。
　アメリカンドリームを夢見て多くの移民が集まる国、アメリカはまさに“人種のるつぼ”なのであります。
　人種が多ければ、問題もあり、歴史的なものを含め差別が存在します。
　アメリカという国はこの差別解消にどの様に立ち向かっているのでしょう。



      　「おれ、ほんと、女に生まれたかったよなぁ」
　１９７８年、ある大手の農建機会社技術部のエンジニアーが、ぶつぶつ文句を言いながら、「おまえ、どう思う」と聞いてきた。
　この会社でも男女格差を無くそうとする国の基本方針に沿って、職場に於ける女性の地位向上の為の施策が採られはじめていた。
　つい先頃まで、技術室のアシスタントだった女性が、今日からエンジニアー待遇になったのである。
　「仕事はよ～、半人前で、俺らが指導しなきゃならんのに待遇はあんまり変わらんときているから、まいったよな～」
　会社は、意識的に女性が上級職に移行できる道を広げようとしていた。
　その後、ミシガン州の名門大学の入学問題でも、同様の事が話題になった。
　「条件が全く同じなのに！」黒人が入学許可を得た事への問題提起であって、これは新聞をはじめ多くのマスコミが取り上げた。
　地域の小中学校でも、住民の人種比率に関係なく、学校での白人と黒人の比率の均等化をねらって通学区を調整するところが増えた。
　女性、マイノリティーの地位向上への対策、ここに移民国アメリカ政府の明確で確固たる国の施策をうかがい知る事ができる。
　時代の趨勢に従って、５０年、１００年掛かって変革が進む日本と違って、国の方針として思い切った施策、時には行き過ぎと思われる様な施策によってドラスティックな変革が出来る国、アメリカをみていると実にそんな気がする。

　事業を起す場合を例にとっても、女性、黒人、米国籍外国人等のマイノリティーへの特典があります。
　マイノリティーの起業参加を応援し、その地位を高める事に政府が積極的に取り組んでいるのです。
　特に、昨今の自動車産業などでは、マイノリティーである事が、新規の商権を勝ち取る貴重な武器ともなっています。
　この事は、世界最大の購買力を誇る米国における、マイノリティーの占める役割の大きさを示すものでもあります。
　買い換え周期が短く、しかも高額な商品を持つ、自動車産業界にとってマイノリティーの支持獲得は、まさに社運をも決め兼ねない大事なのです。
　今やマイノリティーは、法的にも保護され、地位も確立され、ある意味では、不当とも思われる（？）優遇処置さえも取られているのである。
　若しそれでも尚、マイノリティーに人種的な面で不利な処遇があるとすれば、それは「生理的に嫌いな人種」といったものなのかも知れない。
　そうなると、これはもう本当に混血化への時間を要する世紀を跨ぐ長期の課題かも知れない。

　かって私が働いていた工場で、作業中に女性同士の大喧嘩がありました。
　「あれは、黒人の方がいきなり殴りかかった」白人女性全員の調書。
　「とんでもない、白人の方が一方的に攻撃して来たのを目撃しています」黒人全員の調書の結果です。
　そこには、日常の生活では現れることのない人種に対する潜在的敵対心、嫌悪感がある事は否定できません。
　黒人比率が高く奴隷制度のあった南部では、我々如きが知る事も出来ない歴史の爪跡が深く残っているのであろうか。
　それでも経営者たる者は毅然とした態度で臨まなければならないのです。
　又、この様な問題はあっても、アメリカという国は、自由と平等の名の下に団結し、星条旗に忠誠を誓った人達の集団です。
　国家の威信にかけて全ての不合理、困難に立ち向かう気概のある国です。
　日本の様に、卒業式などでの反対運動もあって、国歌や国旗があるのか無いのかも判らない国、ましてや愛国心という言葉すら嫌悪の対象となる国とは、国の品格が違うのです。

　私達も、男女差別など全ての差別撤廃に会社をあげて取り組みました。
　「社員全員でのクリスマスパーティーも終わりましたから、この一年苦労を掛けたリーダー以上の人たちの慰労会を夫婦同伴でやりましょう」
　そんな企画でホテルの会場には、続々と人が集まりはじめました。
　でも、ちょっと様子がおかしいのです。社員には間違い無いのですが、リーダーでない人達がどんどん入ってきます。
　「あれぇ！連絡が間違っていたのかな？」
　「どうして、リーダーでない人たちがこんなにくるの？」
　でも、これでよかったのです。実はこの人達の奥さん方が、リーダーやマネージャーであったのです。
　この説明を聞いた時は、嬉しくなりました。
　仕事が同じなら給与は勿論同じ、管理能力があれは人種、性別、年齢に一切関係なく昇格出来るという会社のルールがちゃんと実証出来たのです。
　ざっと見ただけで、女性の役職者が全体の２０％を超えていました。
　会社が、真剣に取り組んだのは、アメリカでも未だに残る“男女差別”を廃止する事でした。
　国策ほどでは無いにしても、意識的にマイノリティーの地位の向上に努めることに致しました。
　反対意見があったのは、当初日本人駐在員達からでありました。
　「女性は、所詮無理が利かないし、つぶしが効かない」と言う理由です。

　「つぶしが効かないというのは、女性をつぶして何か他のものに使うのでしょうか？食べ物にはなりません。無理が利かないのは、残業の事をいっているみたいだが、この会社は残業を奨励していません。出来れば少ない残業で能率を上げたり、社員の健康を維持したいと思っていますが、これに反対ですか？」
　ちょっと言い方が、えげつなかったので、皆黙ってしまいました。
　極端な施策は、採れませんが、会社には女性に向く仕事も多く、女性の多い職場を女性のリーダーがまとめる事には、いろいろな利点があると思いました。

　会社では働く条件が同じなら、人種は勿論、性別、年齢に関係なく給料も勤務時間も残業時間の制限も全く同じであります。
　この点、日本の男女差別は、現地からみると常識の枠を超えています。
　ある日、日本の取引先の社長が人事部長同伴で工場見学にみえました。
　「やあ！流石ですねえ、カズさん、ラインの女子化が進んでいますねえ」
　「エッ！今、何とおっしゃったのですか？」
　我が社の女性人事マネージャーが聞き返しましたが、でもこればっかりは、通訳できません、いや、勿論しませんでした。
　こんな話、通訳したら、日本の男女差別を披露するはめになります。
　日本では、機械設備類を女性でも使える様に改造し（これは素晴らしい事なのですが）、給与の安い女性社員を製造現場に入れる事で労務費の削減をしているのです。製造ラインの女子化運動の推進でした。
　ですから、女性が大勢活躍する製造職場をみて、こんな言葉を出されたのも、日本人経営者としては、しごく当然なのです。
　同じ仕事でも入社当初から、男女に給与の差があって、しかも昇給の都度、その差がどんどん広がっていくのが日本社会の仕組みであり、これは日本ではごく当たり前の事であります。
　差別と言う言葉には、一般に罪の意識もあって、これを無くそうと努力するのですが、日本の場合、罪の意識の全く無い差別ですから、これは罪悪感を伴なわない言葉、区別というべきかも知れません。
　社会の仕組み上の区別として、官民に関係なく国全体に、何の疑問も無く取り入れられているのです。
　男女差別、学歴差別、年齢差別、身分差別、人種差別、日本には数知れない程の差別が、区別として存在しており、改善の意識の外に置かれているものが多くあるのです。

　シロタさんの努力、もう日本の女性が決して忘れてはならない名前です。
　太平洋戦争が終結し、軍部の束縛から国民の自由を勝ち取り、自由解放の名の下に米国から強制的に変更を迫られた日本国憲法、その中で、燦然と輝くのは男女同権という権利の獲得でありましょう。
　まだ、米国でも残っていた女性蔑視を、憲法改正という千載一遇のチャンスに日本側だけでなく米国側の反対を押し切り、命をかけて獲得してくださった日系女性シロタさんの努力を、日本の女性は何と思っているのでしょうか？
　戦時中は米国でも、厳しい戦火の中、次々と戦地に赴く男性の職場を女性たちが埋めねばなりませんでした。
　誰をも不幸に陥れた戦争ではありましたが、アメリカ女性にとっては、男性と肩を並べて職場で働く事ができる又とない機会となったのです。
　そして、職場での処遇を含め、女性の社会的権利を次々と勝ち取り、その地位を高めていったのです。
　与えられた権利と勝ち取った権利への執念の違いでしょうか？
　勿論、日本にも大勢の優れた女性がいます。
　しかし、残念ながらその多くの方々が、頭の古い男性と真正面から立ち向かう女性闘士となって「男まさり的な」と評価されているのです。
　日本女性のリーダーの皆さん、頭の古いアホな男どもと戦わず、味方につけて真の男女同権を実現しましょう。
　２００５年３月、日系企業経営者懇談会に招かれてＮＹへ参りました。この時たまたま同じ会場でシロタ、ゴードン女史の講演がありました。
　若し、日本の男女同権の実情を説明するとしたら？ふと、そんな思いが頭をよぎりました。


２）	金は天下の回り物
　
　今、日本で格差問題が騒がれています。
　おかしな議論が国会や経済学者の間で盛んに行われています。
　これが、野党の人達が、与党を攻撃するだけの武器と言うなら、政治家さんの勝手な“言い草”と笑っておられるのですが、スタート時点の差別を棚上げにしておいてゴールでの差だけが問題として騒がれると、流石に「この国、大丈夫？」と心配になります。
　「適正な競争で、努力した人とそうでない人との間に、ある程度の格差が出るのは当然で、努力した人が報れる社会にしたい」と言う与党の見解には、まだ一応の理があります。
　でも出発点に差別があっての結果論では論外です。例えば、１００メートル競走に女性のスタートラインは「１０メートル後方にありますよ」と言っている様なものなのです。
　そればかりか「ハイヒールを履いて走って下さい」なのです。
　せめて、スタートラインや条件を合わせてから、結果の格差縮小の議論を始められたら如何でしょう。
　国の要請で、新聞での求人広告からやっと男女区別が無くなりましたが、まだ日本の新聞の求人欄は、どれも年齢区分による求人募集が中心で、アメリカ人が見たら目を回しそうです。
　彼らは、多分この国には、まだ年齢を含む平等法の法律が出来ていないのでは？と思うのではないだろうか。

　会社へ訪ねてくる弁護士、会計士の売り込み文句です。
　「私なら、税金の支払い額をうんと減らす事ができます」
　そうです。誰もが少しでも節税が出来たらと考えているのですが、ここにも日米の経営者の考えに大きな相違があります。
　日本の経営者の節税意識と違って、米国経営者の多くが、自分の期待する金の使い方をして欲しいから、という考えなのです。
　税金の使途は残念ながら、自分で直接的に決める事は出来ませんが、寄付は自分の期待に沿った使途が見えるからです。
　米国では、出来るだけ差別をなくし同じスタートラインにつける努力をします。それでも規制の少ない競争社会、ゴール時点では日本とは比較にならない程の大きな格差を生み出します。
　この格差を、勝者の寄付によって弱者救済が出来る仕組みになっています。　　　寄付は所得から減額する事が出来るため、余裕のある者が自発的に寄付をする事による格差縮小の社会的構造が出来ているのです。
　現地経営では、社内の差別の廃止に大胆に挑戦出来、社外に対しては、外資企業として社会貢献への勉強が出来ます。これこそが海外拠点の経営を任された者だけにしか味わえない特典と思えるのですが？？？？

　さて、「金は天下の回り物」その通りです。ですから金は回してやらないと、こちらにも回ってこないのです。
　しかし、回ってきたお金は回り物で受け取りますが、「回すのは嫌い」という人達がいます。恥ずかしながら私もその一人です。
　まあ、個人の家計ならこれも勘弁して頂きたいのですが、国の経済構造としては、やはり金は回ってもらわないと困ります。
　出発点の差別を無くし、結果で出た極端な格差が自主的に調整できる施策、税制面でアメリカを参考にする事もまだまだあるようです。
　この様なシステムを経験し、情報として持ち帰り祖国の貧困層を無くす様寄与することも駐在員の役目でありましょうか？


３）	ハラスメント対策と芝刈り事件

　従業員教育の中で、継続的にやったのは社内でのハラスメント行為の予防とその対策であります。
　セクハラ問題が大きく取り上げられたのが動機でありましたが、会社としてセクハラだけでなく、人種、年齢、国籍など全てに対する差別、ハラスメント行為を無くす社風をうたい文句に致しました。
　以前、ある日系会社がセクハラでマスコミの槍玉に上がった事件があります。
　この会社は、元々日米の合弁会社でありましたが、日本側の全額出資により完全な日本の会社となりました。これを待っていたかの様なタイミングで、マスコミが騒ぎ出した事から、個人的には何となく作為的なものを感じました。
　セクハラ行為をしたのは、全て米人社員ですが、訴えられたのは日本の会社でしたから、世間的には日本攻撃の恰好な餌食となりました。
　
　この機会に、全社運動としてハラスメント対策を徹底的に行いました。
　先ず、会社方針として、セクハラに留まらずいかなるハラスメントも許さない事を徹底し、これに反する者には断固とした処置をすること。
　第二に、全社員を対象にハラスメント防止に対する徹底的な教育を行う。
　第三に、会社としてハラスメント対策を徹底する以上、いかなるハラスメントの訴訟に対しても、会社は裁判も辞さず断固対決する。
　この為、多くの社員を解雇する事にもなりましたが、一方セクハラの様に一方的に訴える事の恐ろしさも知り、社員達も良い勉強を致しました。
　ハラスメント行為を受けたら、泣き寝入りする事無く申し出る事を説明すると同時に、不用意な一言が相手の人生の全てを奪ってしまう恐ろしさを知ってもらう事も理解してもらいました。
　この為、ハラスメントに対し、徹底的に事実検証をする事に力を入れました。

　ハラスメントでちょっと変わったケースがありました。
　ある女性社員が、通勤途上で交通事故を起こし、足が不自由になりました。
　医者とも相談した結果、従来の立ち仕事には無理がある事が判りましたから、何か別な職場を提供することに致しました。
　会社としては、最善の努力をしたつもりですが、この女性、以前の仕事にこだわり、転職を認めようとはしませんでした。
　よく調べてみると、かなり、利己的な性格から職場でも問題の多い人で、噂を聞く内にどうも会社から慰謝料を取る事が目的と判りました。
　予想通り、身障者に対する不当処置として会社を訴えると言い始めました。
　人事部と協議し、会社としてはこれに断固対決する姿勢を決めました。
　何度もやり取りを重ねる中で、会社から妥協点が引き出せないと気が付いた相手は、手を変えてきました。
　どうやら、人に聞いた結果、社長なら直接話をよく聞いてくれるらしいこと、また、日本人である私を組み安しと判断したのか矛先を私に向けてきました。
　「弁護士をたて、示談で済ませてもいいのだが、どう？」
　相手が、少し迂闊だったのは、会社の強行姿勢が私の方針だったと気が付かなかった事であります。
　会社が、態度を変えないと知ると、今度は会社契約の保険会社に業務に関する事故という説で交渉を始めました。
　保険会社も困りまして、相談に来ました。
　本人も杖を突き、びっこを引きながら私にも面会を求めてきました。
　それから暫らくたってからですが、ある日、保険会社の調査員が、とんでもない光景をみてこれを写真に撮りました。
　下半身の不自由を訴え、会社を休んでいた当人が、何と元気一杯で庭の芝刈りをしていたのです。
　これ以降、弁護士も諦め、本人はあっさり退社してしまいました。
　しっかりした対応策と確証があれば、安易な示談に応じる必要もないのです。

　ハラスメントの教育では、特に次のことを強調しました。
　対策で一番難しいのはセクハラです。時として被害者が加害者になることの深刻さを知ることであります。
　従って、不快に思った事を訴訟に持ち込まず、直ぐに社内の苦情受付に届ける事、そして会社はその事実の確証をとることでした。
　女性の気持は、所詮男性には判りません。反対に男の気持も女性には判らないものがあるのです。
　本人に他意はなくても、相手が不快に感じた事を理解させ、反省が認められたなら許す事。若し、反省が無ければ、断固として厳しい処置をとりました。
　セクハラの乱用は、生類哀れみの令に似た悪法にもなってしまうのです。

　パワハラを見逃さないことも大切なことです。
　「貴方の会社うまく行っています？」「私の患者で、どうも最近精神的に参っている人が何人か相談にくるんですよ」
　お医者さんとの交流会で、ある医師から聞いたこの一言で、社内に某マネージャーによるパワハラが存在する事を掴んだこともあります。
　また、大手メーカーの若手社員が、その道何十年という部品屋さんの立派な経営者を捕まえて、横柄な口を聞くのも問題です。
　「おい！こんなんじゃ、おまえん所はもう使ってやらねいぞ！」
　こんな会話は、決して珍しいことではありませんが、これなど立派な“企業のパワハラ”であります。
　これが会社トップの経営姿勢では無いだけに注意が必要です。我が社もこの様な言動が無いとは思えません。
　社外へのパワハラは企業の信用に関わること、この為に人の配転をしたことも付け加えておきます。


第十四章での教え：

１）	職場での公平、平等を貫く事は経営者の責任、社長としての決定事項であって、そこにはいかなる妥協も無いのです。
２）	ハラスメントの訴訟で、社員の生活の場でもある会社は、絶対に負けてはなりません。その為会社の毅然とした対応策、誰をも納得させる教育記録などを必ず残しておく事です。
セクハラを隠ぺいしてはいけませんが、事実の検証が重要です。女性から話す時には目を合わせないのに、何時もこっそり見られていて気持が悪いという訴えがありました。男性側の申し出で検査の結果、この男性は軽い斜視である事が確認されました。セクハラは罰則を与えるよりも未然に防ぐ事が大切です。
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