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   <title>６)米国家電流通チャネルの変革：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2009-01-02T02:13:52Z</published>
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   <summary>米国の家電流通業界について一言で述べるなら「Evolve or die｣と表現したい。 先ずこの添付した資料でトップ２０社の２０年間の変化を見ていただきたい。...</summary>
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      米国の家電流通業界について一言で述べるなら「Evolve or die｣と表現したい。
先ずこの添付した資料でトップ２０社の２０年間の変化を見ていただきたい。
      トップ２０社中１４社は倒産もしくは吸収合併されている。さらにトップ５社に集中してみると、完全にメジャープレイヤーは入れ替わっている。さらにこの表で変化が顕著に出ているのは、伝統的な展示で、売り場にはセールスがいて、コミッションベースで商談をする小売店が大幅に減り、商品の特徴、技術情報を大量のデータで比較、価格もコンピュータ上で比較On lineで購入する、ウエブ販売が大きく伸びた。２０社中６社がこのカテゴリーに属している。

１９７０年私がシカゴにあるポークブラザーズという、地域量販店で実習生としてフロアーセールスマンを経験した時は、それぞれの商品価格には特別コードが打ち込まれ、それを見てお客様と交渉をする、『相対』と呼ばれる旧式なやり取りをやっていた事が懐かしく思い出される。この会社は数字をWORKUNITED＝１２３４５６７８９０表現、たとえばある商品に
＄１２９．９９WDDと値札に表示していた。WDDとは100ドルの意味で、お客との交渉ではこの１００ドルがボトムで、値段をやり取りして決める。差額は自分の利益として収入になる仕組みになっていた。お客様は値段交渉の後、値引きを勝ち取り、満足感と共に商品購入をするという効率は悪いが、値段交渉の醍醐味を楽しんだ。

これは今では他のお客様との間で格差が生じ問題が出ると言うことで排除されてきたが、当時は、このお店の価格自体が百貨店プライスよりかなり安かったので受け入れられていた。つまり流通は百貨店のようにフルマージンで２５％から３０%を必要とするところと、電気専門専門量販店のように２０%~２５%の粗利で運営できる所、またディスカウントショップのように１５％～２０％、の運営が出来る所により、実際の売価設定が異なることになる。百貨店で電気製品を購入するお客様はお店の設定価格で多少高くてもサービス(デリバリー、クレジットカード)とステータスを重んじる、所得の比較的高いお客様が多かった。ディスカウントショップは価格中心のプロモーション商品が多く、電気専門店ではちょうど中間のお客様で、『相対』ベースが人気があったように記憶している。

このようにチャネル別の販売構成比は時代と共に異なり次の表は１９７０年から最近の２００６年までのチャネル構成比の比較を示している。


次の表　２


１９７０年のチャネル別販売高を見ると３３%がインディペンデント(地域家電店)の中小の電気専門店。次にSears, JC Penny、Montgomery Wordで構成するGSMグループが１０%を占めていたが、彼らはほとんどPBと呼ばれる自社のプライベートブランド商品で販売していた。Searsのような当時小売業でNO.1のしっかりした会社は商品開発部門から性能テストのできるラボ、さらには自社修理部門も完備してお客様の信頼が高かった。三番目は百貨店グループで８％と続くが、２００６年の統計にはGSMも百貨店もなくなってしまった。わずかにSearsの名前もお店としては残っているが資本的にはK Mart 傘下である。７０年代圧倒的に強かった電気専門中小店はわずか４%残しただけの状況です。現在のメジャープレイヤーはベストバイ、サーキットシティー、Frysのような電気専門全国量販店が４３%を占め、地域中小専門店を駆逐した。この傾向は日本でも同じで、No1のヤマダ電機、イデオン、コジマ、ヨドバシ、K’sと大きなシェアーを取った。

アメリカにおける２番目の流通グループはディスカウントショップであるが、彼らは自らをValue リティラーと呼び、エレクトロニクスの品揃えを増やし、自助努力でオペレーションコストを下げ、それを価格に反映させ、競争力を上げ電気専門店に迫る勢いである。もしゲーム、事務機器まで入れると世界の電気小売業界No.1はWal Martになってしまう。３番目はわずか１０年で構成比１２%まで伸ばしたインターネット利用のウエブビジネス。コンシューマーエレクトロニクスがデジタル化するに従い、商品データだけで選択が容易になって、PCとかデジタルカメラはスペックだけで性能が性格に分かる。プラス主要な都市の目抜き通りに、直営のショウルームを持ち、直接にお客様と呼吸するダイレクトマーケッティングを展開し相乗効果を生み出している。

　『Evolve or Die』の表現には、こうした流通の激しい変化に適応したか否かが、企業の浮沈を大きく左右したことを指している。
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   <title>５)ビデオ、カラーTVの独占体制：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2008-12-02T02:13:24Z</published>
   <updated>2008-12-02T02:28:14Z</updated>
   
   <summary>１９７０年代に入り、カラーTVは日本の各メーカーよりポータブル、テーブルトップを中心にアメリカ市場に雪崩しきに参入してきた。迎え撃つ強豪RCA、ゼニス、マグナボックスは各社１５%を超える占有率を確保、一歩も譲らぬ体制で強みのコンソール、プロジェクションTVを加え大型テレビで圧倒的な強さを示した。...</summary>
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   <category term="20" label="バブル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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   <category term="23" label="ベータ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      １９７０年代に入り、カラーTVは日本の各メーカーよりポータブル、テーブルトップを中心にアメリカ市場に雪崩しきに参入してきた。迎え撃つ強豪RCA、ゼニス、マグナボックスは各社１５%を超える占有率を確保、一歩も譲らぬ体制で強みのコンソール、プロジェクションTVを加え大型テレビで圧倒的な強さを示した。
      　１９７１年１２月、米国ニクソン大統領は自国のドル流失を防ぐため通貨の多国間調整（金１オンス＝３５から３８ドル、１ドル＝３６０から３０８円に切り上げ）を行なったことから、時代は変動為替相場制（１９７３年２－３月）へと大きく切り替わった。この変化が、今までの日本の価格優位性を切り崩した。その上ゼニス社が松下電器を含む日本の主要TV製造各社にダンピング訴訟を起こした。この事件をきっかけに日本では二重価格問題として、国会に社長喚問があり、テレビで実況中継された。これは単にビジネスを難しくしただけでなく、「良い物を市場の求める価格で導入すればアメリカ人に受け入れられる」と思っていた日本メーカーの競争意識、モラルまで影響を与えた。まさに戦意喪失の状況であった。

しかしいち早く立ち直った松下電器はアメリカのメーカーとして本格的に活動するために当時財政的に困難な状況下にあって、起死回生を図るためにカラーTV部門を売りに出していたモトローラー社のTV部門をクエーザーブランドと共に買収した。この買収劇はアメリカの自動車産業に続く基幹産業のエレクトロニクス部門の中心であるテレビ部門を日本の経営傘下におさめたと言う画期的な出来事として他のメーカーにも活力を与えた。Sony、東芝、日立、三洋、Sharpなど各社がアメリカでの現地化に拍車を掛け、製造拠点を作り本格的なアメリカ市場攻略に取り組んだ。ただ販売はそんなに簡単ではなく、消耗戦の状況下であった。この状況を打ち破る商品として、７０年代半ばに日本企業が開発競争に血みどろになっていたビデオの規格が徐々に統一に向かって動き始めた。

当時ビデオのベーターシステムを開発したSonyさんは、持ち前の技術力で画像の美しい放送中心に使われていた、夢の録画機を市販用として試作、各社に規格参加を呼びかけた。松下幸之助もこのシステムに大いに興味を示し、何度か盛田社長＆CEOの訪問を受け、まさに参加寸前の時に、アメリカ訪問中の稲井副社長より報告が入り、アメリカメーカーの代表であるRCA，小売のトップであるSears社の幹部から、「アメリカは録画時間の長い、子会社の日本ビクターが開発したVHSの方が販売に有利」との強いメッセージが入る。常にお客様の声を聞いてきた経営の神様は迷わず、アメリカのお客様の要望する商品に決定を下し、OEM販売でRCAから１９７７年『Selecta Vision』の名称でアメリカ人が望むフットボールゲームの録画可能な４時間記録のVHSビデオが１０００ドルで店頭に並んだ。日本ビクターが開発、松下寿電子が製造、RCAが販売を担当したマーケティングの勝利であった。この傾向を受け日本の同業他社もVHSに傾き、規格統一はVHSに自然に決まった。数年遅れでSonyさんも技術的にすばらしいベーターシステムを放送業界のプロ用として残し、市販商品はすべてVHSに取り組まれた。

さらに映画業界はレンタル、販売用のプリレコーデングテープを湯水の如くに売り出し、VHSビデオはAV機器の心臓部を占めるようになり、ここから決定的にアメリカのテレビ業界との差別化、格差が顕著になってきた。店頭の代表的展示もビデオを代表商品に取り上げ、２ヘッドのプロモーション商品から、４ヘッドのステップアップ、さらにハイファイビデオと品揃えも充実、まさにビデオ市場はしばらくは日本エレクトロニクスメーカーの独壇場であった。もちろん欧米のメーカーのOEMで日本に発注して独自のチャネルに流してくれたため、日本メーカーはビデオ天国という状況でした。今までカラーテレビの定番が決まらなかった、エレクトロニクスブテックストアー、伝統的テレビ家具ストアーもビデオの商談に乗せて、カラーTVの定番が決まっていった。

ここで少し商品作りの話に触れたい。
ビデオのように今まで市場にない画期的な商品を開発、研究する事はメーカーとしては急務であるが、お客様の声をよく聞き、市場の要望にあった今までの商品に改善を加えた物作りもヒット商品につながる。

当時アメリカ松下電器の直轄製造事業場として存在した松下寿電子に市場から持ち込まれた強い要望は、テレビとビデオを一体化すること。ビデオはすばらしい商品だが、いちいちテレビとのコネクションが面倒で小型テレビを部屋から部屋へ移動するのもいちいち配線をやり直さなければならないという不便さがある。「何とか一体化できないか」という強い要望である。日本サイドに国内市場的にはコネクションは消費者のレベルも高く、電気店のサービスもきめが細かく、それほど要望もなく、その上高価なテレビ、ビデオどちらかが壊れた場合、無駄が生じると、否定的な意見が多い中、松下寿電子は、商品化に漕ぎつけてくれた。それがアメリカではチャネル別にディスカウントストアー、会員制倉庫クラブへ商品の供給が追いつかなくなるほど格好のヒット商品に成長した。バラィティーも９インチ、１３インチの台所、勉強部屋用２０インチ、２５インチの寝室用、２７インチ以上の大型がスペースの少ない居間用、また各種講習会のプレゼンテーションにも人気があり、最高で５００万台の販売を業界として達成するに至った。このビデオ商品の成功はまさに世界的にエレクトロニクスビジネスの潮流を変えた。特にアメリカにおいてはこの後、全てのコンスーマーエレクトロニクスの会社は倒産、廃業、他社に売却された。

そして１９８０年代、日本はバブル期に突入、１ドルは８０円台まで高騰、
世界的にエレクトロニクス産業は黄金期を迎えた。


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   <title>４）ブランドマネージメント：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2008-11-02T02:12:55Z</published>
   <updated>2008-11-02T02:35:05Z</updated>
   
   <summary>初期に海外に進出した企業が共通して、ぶつかる問題は｢ブランド｣ではなかろうか。自国では十分有名になっているブランドも海外では、知らない人が多い。...</summary>
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      初期に海外に進出した企業が共通して、ぶつかる問題は｢ブランド｣ではなかろうか。自国では十分有名になっているブランドも海外では、知らない人が多い。
      海外でも知られているから登録を試みると、すでに同業種企業が使っている。使ってなくても登録だけして、使用に当たっては高額な使用料を請求される。あるいは言葉の違いから、自国では親しみやすい名前が、他の言語ではとんでもない意味に理解される。たとえば『Calpis』さんが『牛のおしっこ』と取られたり、『Pocari sweat』さんは汗の飲み物と、アメリカ人たちが冗談で飲み終わった容器を部屋に飾っていた事を思い出し、教訓にしている。

そうかといって、初期の頃、松下電器から『Matsushita』ブランド、あるいは住所の門真市から『Kadomax』と登録、使用したが、極めて受けが悪かった。これは言葉として馴染みがない上に、長すぎて発音が難しいという問題がある。発音で苦労されているブランドとしては日立さんの『Hitachi』ではないでしょうか。今でも田舎に行くと『ハイタッチ』と読んでいる人がいる。

このようにコメントしていくと、Sony、Sanyo、Sharpと三大S社さんはさすがでブランド認識力が抜群である。最もそれ以上に宣伝、PRを繰り返していくことが世界的のブランドに育て上げるための需要な要素であることは論を待たない。日本の自動車会社は近年アメリカにおいても多額の投資により、商品販売の増加も伴い、Toyota、Honda、Nissan全て、日本語の名前なのに子供でもきちっと発音でき親しまれている。

しかし世界的大ブランドに育て上げるにはCoca Cola、IBM、M(Macdonald) Microsoftと条件をそろえたブランド作りの上に、繰り返し宣伝、PRの必要がある。ここまでの道のりは非常に遠く、１９５０年代にアメリカに上陸した日本製商品のブランドは試行錯誤と資金不足から、先ずは競争相手のOEMブランドで始まった。そして、次は小売店のブランドで納入する、「プライベートブランド」という手法で、60年代、当時の大手小売店、Sears、JC Penny、Montgomery Word、WT Grantにならんだエレクトロニクス商品のPBはほとんどが日本メーカーの物であった。電池のような小物商品は自分のブランドだが外のブリスターパックは相手方小売店の名前を入れさせられ、かなり厳しい価格条件で商売を余儀なくされた。つまりあなたのブランド力がないので私のブランドの信用でお店に並べてあげるから、そのぶんブランド料を払いなさいと言うメッセージで大変悔しい思い出がある。それ以降私は『Pansonic』のブランド投資を繰り返してきた。

それではどのようなブランド戦略、戦術を実践してきたかというと、ブランドが決まった後は、メーカーとしてのマーケティングの最重要ポイントは商品作りで、その市場で伸ばしていく商品カテゴリーを明確にして、さらに販売チャネルも作戦として決め、ターゲット流通を絞り込んだ上で、如何に有効にメッセージを伝えるかを徹底して考えたことだ。

小さな例だが、失敗談をお話しすると、私が西部１２州の販売会社のCOO時代にハワイ地区の宣伝としてテレビ、ラジオ、新聞に加えて、ハワイの飛行場のバゲッジ引取りのところにあるカートにPanasonicの宣伝をするという取り組みをしたことがある。これはワイキキをはじめ主要な街ではネオン屋外看板が禁止されているために、この方法が有効と思ったからです。しかし暫くして、私が担当していた秋葉原のお店の責任者の人と日本で夕食懇談をやった時に｢岩谷さん、御社はハワイでよく頑張っていますね。「日本語放送から飛行場のカートまで実に念入りに宣伝をされて」と褒められ、苦笑した思い出がある。ハワイの人口は１２０万人強、訪れる日本からのお客は２５０万人(当時)~３００万人。飛行場利用の日本人が最初に手にするのがハンドカート。知名度抜群になる理由がそこにあった。後で本社と国内営業に広告負担をお願いしましたが、「Good try 」であったが、「グローバル企業として当然だ」と却下された。

日常有効なブランド強化はやはりテレビで、スーパーボールの中継では２回の１５秒宣伝で数ミリオンかかった。但し効果は視聴率ベースに絶大という説とスーパーボールのインターミッションはトイレ休憩でコマーシャルを見る人は少ないというコメントもあり、費用も高いので止めてしまった。やはり主要都市のメージャーネットワークのニュース番組で繰り返し、１０~１２月に流すのが、費用対効果が高いと思う。ラジオの場合は通勤時に交通情報と共にコマーシャルを流す、NY、NJ地区で長年取り組んでいる｢トラフィックカム｣はPR、宣伝効果大である。タイムズスクエアーの大画面に映し出されるニュースとPanasonicのロゴ、リンカントンネルの外の屋外宣伝等も長期的にはPR効果が出ていると確信する。後は世界的イベント、オリンピック、F1、アカデミーの受賞中継のみならず、大統領選挙運動の中継に機材としてブランドが出ることはインパクトが大きい。新聞の効果はお客様との共同宣伝がPRと実際の販売に直接反応が出るのでカンフル的効果がある。

しかし長年の経験で費用対効果も含めて最も有効な手段は、その会社のCEOが直接メディア出演して会社、商品、社会貢献のPRをする事が総合的に影響力があるように思える。ビルゲィツ、スティーブジョブがどれくらい会社のイメージを上げているかがお分かりになるでしょう。

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   <title>３）トランジスターラジオより始まる：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2008-10-02T02:12:28Z</published>
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   <summary>１９５９年９月１５日より、二人の創業スタッフで後々日本を代表する輸出品となった、トランジスターラジオの商売がNY市の小さなオフィスにて始まった。...</summary>
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      １９５９年９月１５日より、二人の創業スタッフで後々日本を代表する輸出品となった、トランジスターラジオの商売がNY市の小さなオフィスにて始まった。
      創業の人Raymond Gatesと日本からの代表、B. Fujiiの二人三脚の出発であった。代表社長は松下幸之助と記録されている。自社ブランドでは商売にならず、『Lafayette』というOEM(他のメーカーブランド)でHi Fi商品の一部をわずかに販売しただけであった。翌年60年９月には『Matsushita 』ブランドで３機種のポータブルブランドが、１１月にはテーブル型トランジスターラジオがそれぞれ１機種づつ発売され、初めてMacy’sの電気売り場に並ぶが金額的にはわずかであった。

『Panasonic』 と呼ばれるブランドが承認されたのはその後の１９６１年であった。この時にはAM・FMラジオ、トランジスターを使ったオープンリールのテープレコーダー、時計付の目覚ましラジオ、蓄音機付AM・FMラジオと日本からのオーディオ機器の黄金時代へと突入していく。３６０円が１ドルとの為替交換レートが固定化し、輸出価格も安定しており、日本の工場も１００メーター近いベルトコンベアーの上を整然と商品が流れ、器用な日本の作業員が６~７点の部品を基盤に挿入していく状況はその時代の近代工場のシンボルであった。同時期Sonyはマンハッタンの５番街にショウルームをオープン。日章旗を掲げていた。それを見た当時の駐在員の中には感慨で涙する人もいたと言われている。

アメリカも69年７月に初めて人を月に送り、月面着陸の様子がTVに映し出され、国力の強さを世界にアピール、経済的にも充実した時代であった。ガソリン価格もレギュラーが２０セント前後、タバコもほぼ同じ価格であったと記憶している。フォードのマスタングが２５００ドル、トヨタのコロナが１８００ドルのなかで、トランジスターラジオはAM Onlyで＄9.99からカセットテープ録音機は＄29.99そして木目でエアーサスペンションのステレオAM・FMチューナーは歴史的な記録破りの価格、＄99.99と大ヒット商品になる。これにBSR(イギリス製)ターンテーブルが付いて、２００ドルまで、カセットが付いて３００ドルと付加価値の付いた高級商品に日本のトランジスターオーディオが市場を席巻した。

技術商品としてはクロックラジオでトップに触ると音声で時間を知らせる商品が出て市場で話題になるがこの声が日本語なまり英語の女性だと苦言をいただくが、真実は定かでない。またアイデア商品では現代では考えられないAMテーブル型７石トランジスターラジオのトップがタバコ入れになったものがミリオンセラーになったり、７０年大阪万博を記念してタイムカプセルを型どったボールラジオ＄9.99が７色カラーで発売、アカウントあたりミリオンセラーになった。

ちょうどその頃私もデトロイトで販売プロモーターをJL Hudson百貨店でやっていたが、クリスマス時期には売り場から倉庫まで何度も何度も商品を運んだ事を思い出す。一人が何個も買ってくれる様子は壮観だった。ただこれはオーディオだけの話で、この時の花形だったカラーテレビにはアメリカのメーカーを相手に手も足も出せなかった。

ちなみにRCA、GE、Zenith、Magnavox、Motlora、Silveniaとアメリカのカラーテレビがどの店でも中心で、Panasonic、Sony、東芝、日立、三洋、シャープなど日本での主要カラーテレビメーカーは太刀打ちできない状況だった。特に大型コンソールカラーテレビは一品も日本のメーカが入れなかった。

しかしながら白黒テレビの市場は、いち早くトランジスター化した日本性が画面のシャープさとデザインの良さ、消費電流の低さと特徴を示し、徐々にマーケットシェアーを伸ばした。

それではこの時代の世界の事情はどうかというと、欧州はシーメンス、テレフンケン、フリップス、トムソンというメーカーが強く、オーディオを除き、アメリカと同じように、テレビでは日本メーカーは苦戦していた。東南アジアでは戦時賠償ベースに少しずつ販売が伸びを見せていたが、電池、電化商品など安価なものと、オーディオ商品以外はほとんど輸出されていなかった。唯一台湾、香港、シンガポールが欧米的な商品を持ちと台湾では自国で大型白物商品を製造、販売をはじめていた。もちろん文化大革命中の中国には何も売るものはなかった。アフリカ、中近東、中南米は政権の不安が続き、直接資本投下して販売会社を作るにはリスクが大きく、大半代理店、商社を通してのビジネスに過ぎなかった。

そういう意味ではこの時代、日本とアメリカに目を向けた、市場、商品作りに集中した効率のいい商売が出来た。特にアメリカは世界の人種のるつぼで、ここで受け入れられた商品は世界に通用する、マルチ文化商品であり、その上最高の激戦市場のため、この市場でウイニング商品は世界どこでも通用した。
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   <title>２）戦後の復活期と家電の役割：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2008-09-02T02:03:58Z</published>
   <updated>2008-09-02T02:30:31Z</updated>
   
   <summary>戦後の復興の中で、焼け野が原の秋葉原の周りに中古品を全国から集めて、または進駐軍からの横流れ品をオープンマーケットの形で商売が始まった。メーカーも軍事産業に従事した所も多く、爆撃を受けた会社も多く、製造は壊滅的で、その上材料もほとんど入らなく、生活必需品である電球、電池という商品が流通した。...</summary>
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      戦後の復興の中で、焼け野が原の秋葉原の周りに中古品を全国から集めて、または進駐軍からの横流れ品をオープンマーケットの形で商売が始まった。メーカーも軍事産業に従事した所も多く、爆撃を受けた会社も多く、製造は壊滅的で、その上材料もほとんど入らなく、生活必需品である電球、電池という商品が流通した。


      朝鮮戦争をきっかけに再び電気製品の生産が始まり、電気炊飯器、アイロン、電熱器、電気コタツ、掃除機のような家事を助ける商品が市場に出回り始めた。しかしこの様な商品は輸出するだけの力もなく、内需を満たしたに過ぎなかった。


戦後のアメリカへの輸出はミシンとその補修部品から始まったというデータがあり、その当時のブラザーのミシンのデザインは今見てもなかなか洗練されたものがあります。その後、５年ぐらい遅れてアメリカに住む日本人と一部の東洋人の要望に応えるという状況下で電気炊飯器が輸出された。ただこの輸出商品の炊飯器は「ナショナル」のものがハワイの輸入会社を通して、第一号機として販売されたが、最初に商品化したものは、軍事目的で煙の出ない炊飯と言う事でSonyが開発に成功した、木製のおひつにヒーターを貼り付けたものである。


５０年代後半から６０年代にかけて、日本は田中角栄首相の列島改造計画、東京オリンピック、大阪万博と高度経済発展を遂げる。今から回顧すると中国において鄧小平、江沢民と経済政策に重点をおき、さらに北京オリンピック、上海万博と発展を続ける隣国にも共通点が見られる。とにかくこの時代の花形は三種の神器と呼ばれた、冷蔵庫、洗濯機、白黒TVである。戦後の復興のために国中上げて一番働いた時かもしれません。その上ご婦人たちの社会参加も目覚しく、共働きと言う言葉を耳にしたのもこの時期だと記憶しております。


そのためにも家事の時間を少しでも減らすために、買い物を毎日するのではなく、一週間に一度にしてこの時間を労働に回す事、また洗濯板を使って冬でも手で洗っていた重労働を自動化して他の事をしている間に仕上げてしまう電気洗濯機の出現は主婦を家事労働から解放したといっても過言でありません。当時の新聞でも報道されましたが、松下幸之助のコメントで｢日本の主婦を家事労働から解放する家電の役割｣と単にビジネスとして出なく社会的意義についてふれていた事が思い出されます。今日、色々な商品が百花繚乱する中で産業人としての使命、商品の意義ということを考えたもの作りと言う事に対して再度考える事も必要かもしれません。このような状況は、TVがフラットになった以外に、中国、ロシアで数年前に起こった事で、インドでは今引き続き起こりつつある社会現象のように思われます。


一報、流通部門においては日本中いたるところにおいて、ナショナルショップと呼ばれる専売店と一般店合わせて系列店が３００００店を超え、国鉄のどの駅から見ても「ナショナル」ネオンか看板の見えないところがないぐらい、積極的にマーケティングに取り組む。また販売施策も一回の給与で買えない商品だけに、ボーナスと毎月の給与から差し引く割賦販売というやり方でクレジット部門が大きく伸びた。


この販売方法から見ると、現在メキシコでは週給ベースに割賦販売が盛んでメキシコの販売店に行くとクレジット支払いはペイチェックの中から、定額を取り、残りをキャッシングする形で、支払い窓口を店の一番奥に設け、帰りにさらに買い物を増進する方法が一般化しております。時代が移り変わり、対象商品は違っているが、商売のメカニズムに共通性を見出す事が出来る。


この様な国内の家電ビジネスが充実する中で、徐々に国際的に競争力のある商品作りが、家電各社で醸造されてくる。１９６０年代後半、本格的に日本からのエレクトロニクスの輸出が始まるのは、トランジスターの開発と品質が高まる中、伝統的のミニュチュア技術を持つ日本の家電メーカーの努力で、品質、デザイン、価格の整った商品がちょうど５０年前のアメリカの代表百貨店Macy’sの店先に並んだ。まだまだゼニス、RCA,GE,マグナボックス、モトローラ、と言うアメリカの強豪に混じっての細々とプロモーションラインとしてのデビューでした。


ちなみに松下電器からは3機種のポータブルトランジスターラジオ、Panasonicブランドがまだ生まれる前でアメリカにおける始めてデビューは「Matsushita」であった。(以下次月)

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   <title>松下電器産業（株）を卒業して3年が過ぎました。：岩谷 英昭（ABPS代表幹事）</title>
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   <published>2008-08-02T02:58:27Z</published>
   <updated>2008-08-03T02:22:28Z</updated>
   
   <summary>ネオ日本人一世を目指して、再びアメリカに帰り、2年を経過しました。 地域社会のためにと今までの経験を生かして、日本、アジアの若いアントレプレナーのための、セミナー、コンサルタントをはじめて毎日忙しく飛び回っております。 ...</summary>
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      ネオ日本人一世を目指して、再びアメリカに帰り、2年を経過しました。
地域社会のためにと今までの経験を生かして、日本、アジアの若いアントレプレナーのための、セミナー、コンサルタントをはじめて毎日忙しく飛び回っております。

      その間に、母校明治学院大学で経済学部国際経営学科でグローバル・マーケティングの講座を担当する客員教授中国大連にある東北財経大学では、日本の目覚しい発展、特にアメリカでのエレクトロニクスの成功の鍵と国際社会で協調性を中国の大学、MBAの皆様に教鞭をとっております。

このわずか2年の間にエレクトロニクス産業は2009年のテレビのデジタル化を迎え大きく変化してきました。ブロードバンドをベースにユビキタスワールドに寄与できない力のない、メーカー、小売の順位を大きく変えた。

2006年のデーターで見るとメーカー、小売の順位は

順位　　メーカー　　　　　　　　　　　　小売
１　　　シーメンス（独）　　　　　　　　ウォルマート（米）
２　　　HP（米）　　　　　　　　　　　　カールフール（仏）　
３　　　IBM (米)　　　　　　　　　　　　メトロ（独）　　
４　　　サムソン（韓）　　　　　　　　　ホームデポ（米）
５　　　日立（日）　　　　　　　　　　　テスコ（英）


家電順位　メーカー　　　　　　　　　　　　家電小売
１　　　シ－メンス（独）　　　　　　　　　ウォルマート（米）
２　　　サムソン（韓）　　　　　　　　　　ベストバイ（米）　
３　　　日立（日）　　　　　　　　　　　　メトロ（独）
４　　　松下（日）　　　　　　　　　　　　エキスパート（独）
５　　　Sony（日）　　　　　　　　　　　　ステープルス（米）　

さらに驚くのは利益ベースの順位です。
１　　　IBM（米）
２　　　サムソン（韓）
３　　　フィリップス（蘭）
４　　　HP(米)
５　　　ノキア

なぜこの様な結果を招いたか考えてみると、製造立国日本は物作りにおい絶対的な自信を持っていた。42インチのプラズマTVを作ると、見掛けのデザインのみならず、色、音、商品の仕上げにおいて、一般的に他国の競争メーカーを寄せ付けない強さを持つ、しかしながらこの商品が小売店の利益を乗せて店頭に並ぶと段違いの価格になる、なぜかというと製造という部分の労賃が日本を中心とした人件費的に見て多きくコストを上げている。

さらに企業ここの開発製造した部品にこだわりすぎ部品のコストUpにも繋がっている。汎用部品を大量に買い付けるEMS(コントラクト　マニファクチャラー)には部品単価面でも水を開けられている．最も大切な生産設備の規模、効率性から言っても、リーデングEMSと比べて日本の工場は十分の一にもならない。

20世紀後半のエレクトロニクス黄金期に貢献した日本企業は21世紀デジタルエレクトロニクス時代に入り、アメリカ、韓国、台湾を含む中国との競争において激烈な消耗戦を強いられてきた。これから生き残りをかけ、更なる発展を続けるにはどうすればいいか？過去の歴史からヒントを引き出してみたい。

各時代の代表的商品、お客様の求める流通、価格、サービス、ブランド戦略を科学的に分析、メカニカルに表現していきたい。私の大学の講義ではこの部分をMarketing Engineeringと呼び、ややもすると情緒的アプローチを試みてきた販売の心をサイエンティフィックに教えてきた。来月以降この内容を以下の項目で10回のシリーズで紹介させていただきます。

1．	戦後の復活期と家電の役割
2．	海外進出とブランドマーケティング
3．	トランジスターの発展とミニチュワ化
4．	VHS VS ベーター戦からビデオ・TV独占体制に
5．	米国家電流通のチャネル変革（Evolve or Die）
6．	商業資本が産業資本をリード
7．	商品ミックスと価格戦略によるチャネルマネージメント
8．	デジタル機器とユビキタスワールド
9．	流通の合従連衡と世界の中国工場
10．限りなく世界文化の発展に寄与する家電ビジネス　

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   <title>&quot;意志と努力、不運を好機に&quot; -NYジャピオン紙掲載「磯貝　正治」</title>
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   <published>2005-09-07T13:52:11Z</published>
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   <summary>国際経営コンサルタント「よりよいNYの会」（ABNY）名誉理事 磯貝 正治 “意思と努力、不運を好機に” 「森の中でふたまたの道があり、一方は踏みならされ、もう一方は誰も通った跡がなかった。私は、後者を選んだ。それが大きな違いをもたらした。」 高校時代、御紙から届いた年賀状に、米国の詩人ロバート・フ...</summary>
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      国際経営コンサルタント「よりよいNYの会」（ABNY）名誉理事
磯貝 正治

“意思と努力、不運を好機に”

「森の中でふたまたの道があり、一方は踏みならされ、もう一方は誰も通った跡がなかった。私は、後者を選んだ。それが大きな違いをもたらした。」

高校時代、御紙から届いた年賀状に、米国の詩人ロバート・フロストのこの詩があった。迷った時は安易な道ではなく、あえて困難な道を進む。人生の岐路に立った時はこの言葉を胸に刻み、将来のビジョンに向かって努力した。

1958年、扇屋本店（千葉市）に入社、64年に総理府青年海外派遣団北米班に選抜され約二ヶ月間、北米を親善訪問。その後、弱冠29歳で取締役に就任した。やがて、訪れる国際化時代を確信し、「世界に通用する経営者」という高いビジョンを掲げ、経営者教育の名門、ハーバード・ビジネススクール高等経営者コース（AMP）への挑戦を決意。すべてが順風満帆に見えた。



      <![CDATA[だが、31才の時...

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