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2007年05月21日 14:20に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (2) 渥美 育子 | メイン | 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (4) 渥美 育子 »日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (3) 渥美 育子
インターカルチュラル・ビジネスセンター社
社長 渥美 育子
法則4:コードが違えばルールも違うーMoral Code対Legal Code
前号で、コードが異なる国や社会では明文化された規則も不文律も異なるので、ビジネスの仕方がどう根本的に違うかをまず理解することが不可欠だと述べた。根本的な違いの一つはLegal CodeとReligious Codeは絶対性に根ざしているのに対して、Moral Codeはすべてが人間関係、状況しだいで変わりうる相対性の文化だということである。相対性の文化にどっぷりつかっている日本人がグローバル市場でビジネスをうまく行うには、絶対性とは何かを理解する必要がある。
今回は3つのコードのうち,Moral CodeとLegal Codeという相反するコードに注目し、主な相違点を事例に基づいて明らかにしていきたい。
徳 (Virtue)対 倫理 (Ethic)
〔事例〕
サナポーンさんは、ドイツに本拠地を置く多国籍企業のタイ事業部の調達担当マネージャーである。この会社は、ある高価な設備を購入しなければならなかった。欧州から赴任してきた新しい上司を喜ばそうと、彼女は密かに詳細な調査を行い、知り合いと話を進めて、最終的には45%という破格の割引を取り付けることに成功した。
彼女がこの朗報を上司に報告した時、彼は『45%のディスカウントなんて聞いたこともない!一体これはどんな取り決めなんだ?君はこの取引で利益でも受けるのか?』と言い放った。
〔解説〕
ドイツや米国のようにLegal Codeが強い国に本社がある場合、ビジネス上の行為が 合法(Legal)か非合法(Illegal)かが最大の関心事となる。CEOは命をかけて倫理規定を 世界中にいる社員に徹底させ、スキャンダルを防がなければならない。しかし、倫理 規定を厳密に追求すると、顧客や会社、上司への忠誠や献身に根ざしたMoral Code 社会の商習慣と抵触する部分が多いのに気がつく。
昨年(2004年)4月、米国通信機器最大手のルーセント・テクノロジーズの中国法人 トップ4人が不正取引の疑いで解雇され、調査は米司法省、証券取引委員会(SEC)の手にわたった。贈賄を禁じる米口のLegal Codeを犯した疑いだが、当事者は競合会社がやっていることを禁止されて入札できないとすれば、米国が標榜する公平な(Fair)競争にならないと言いたいかもしれない。
85年にカリフォルニアで起きたIBM-日立/三菱電機 産業スパイ事件が思いおこされる。IBMとの競争に打ち勝とうとIBMが知的所有権を持つソフトウェアを手に入れた日本企業の‘献身的’な社員たちは、米国の囮捜査にひっかかり情報を国外に持ち出す寸前に空港で逮捕された。冷静に状況を分析すれば、これはMoral CodeとLegal Codeが火花を散らした事件であり、二つのCodeの根本的な違いに気づくよう、警鐘を鳴らすものだった。ところが、囮捜査が合法でない国に住む日本人は、このようにだまして捕らえるのは‘最も汚い’やり方だと米国を非難し、米国は米国企業の知的財産をぬすんで競争にうち勝とうとするのは‘最も汚い’手段だと応酬して非難合戦になったため、問題の焦点がぼやけてしまった。
* コードをこえてビジネスを行うためには、ルールの違いを何よりもまず知るのが 重要である。
* 欧州(ドイツ)から赴任した上司もタイ人の部下もマルチカルチュラルレンズを 通して‘メタ認知’をしないと非難合戦を避けることができない。クロスカルチ ュラルな場での‘メタ認知’とは、法則1で述べたグローバルな視点から行動の パターンの違いと理由をモニターし、修正する能力のことである。
* しかし、いくら合法か非合法かが最大の関心事とはいえ、部下を傷つけ、やる気 をなくさせてしまったドイツ人の上司は上司として失格だろう。まず、努力に対 して感謝。そして、どのように大きな値下げが可能になったか説明を求める。 説明の中に非合法な要素があれば、なぜ非合法かを説明し、一緒に問題解決をは かる。そうすればタイ人の部下はこの上司を尊敬し、新しい関係をスムースに始 められるだろう。
もてなし(hospitality) 対 プライバシー(privacy)
〔事例〕
あるIT関連企業に勤めるシンガポール人社員は、世界中の他のどの国の同僚からよりも、米国人の同僚から冷たい仕打ちを受けるとしばしば感じる。
彼は、このIT関連企業に入社してから色々な国を訪れているが、そうした国々の同僚達はいつも、とても暖かくもてなしてくれて、彼が快適に過ごせているか、必要なものがきちんと揃っているかと、いつも気を配ってくれる。その上、仕事が終わった後の予定までを組んでくれたり、オフィスへの毎日の送迎や空港への送迎に運転手まで付けてくれる。しかし彼が米国出張した時は、全く異なった体験をした。彼がまだ上手に英語を喋れないにもかかわらず、その日の会議が終わった時点で米国人の同僚は即座に各自の仕事に戻ってしまい、一人で取り残されてしまったので、自分でホテルへ戻るタクシーを呼ぶことすら出来ず、また仕事が終わってからも何もすることがなかった。彼の処遇が考慮されることは皆無だった。彼にとって米国出張はあまり楽しい経験ではなかった。
〔解説〕
人間関係中心の社会ではもてなしが主要な価値のひとつであることはいうまでもない。しかし、米国の様なLegal Codeの社会では、プライバシーのほうが重要だと考えられている。
プライバシーは憲法で保障されている、誰も犯すことの出来ない基本的人権のひとつである。米国では債務者への頻繁な返金請求はハラスメントとみなされる危険がある。ある年齢以上の子供の身体検査の結果は親であっても許可なしに受け取ることは出来ない。垣根はなくとも他人の家の敷地を横切ったりすれば逮捕されたり、銃でうたれるかもしれない。雇用契約に書かれていない時間に急にオーバータイムを依頼するのは私的時間の侵害だとみなされるかもしれない。
この延長線で考えると、アメリカ人は他の国から訪問者があるからといって、リクエストもないのに率先してディナーに招くとか、週末をつぶして面倒を見るといった発想がないのだと理解できる。なるべく職務上の生活と私生活をはっきり区別したいのだ。しかし訪問者から要求され、その理由が納得できれば、必ずといって良いほど実行にうつす。
これはシンガポールの例だが、日本のように単一文化を共有している場合はとりわけ、“察する”のは美徳だと思われがちだ。だがどこの国にいてもコードの違いを理解しないで“察する”と異文化摩擦を増幅してしまう。コードの違いの理解がいかに大切かは、いくら強調してもしすぎることはない。
人間関係中心(Relationship-centered) 対 ノウハウ/専門知識中心(Expertise-centered)
〔事例〕
「また同じことだわ」とナンシー・シラスはため息をついた。彼女はカリフォルニアでPR会社を経営している。東京や上海に見込み客を連れて行くと、最初は高級レストランに毎夕招かれ「じゃあ、一緒に仕事をしましょう」とまるで長年の知己のように熱烈歓迎される。が、いったんプロジェクトが始まり、ビジネスを実行しようという段取りになると戦略らしいものは何も得られないのだ。その上、ビジネスを進めるのに必要な経費も出し惜しみされる。あのもてなしに使われたお金があればもっとプロフェッショナルな仕事が出来るのに…と、彼女はアジア人のビジネスのやり方に不満を持ってしまうのだ。
信頼関係の築き方
〔事例〕
スチーブは日本の顧客のプロジェクトを始めるにあたって詳細な契約書を作成し、彼の会社の弁護士に見せて手直ししてもらった。
顧客にそれを送り、ハワイで合流して一つ一つの項目を説明した。学生時代法学部に籍を置いたバックグラウンドが役に立っていると彼は内心自負していた。「これを貴社の弁護士に見せ、ご検討下さい」というつもりだった。しかし、ごくありふれたprotection clause(お互いの利益を守るための条項)のところに来ると、日本の顧客は声を荒げていった。「なぜ、自分の会社の利益のために日本企業に不利な条項を入れるのですか?」
〔解説〕
人間関係中心のMoral Code社会で育ち仕事をしている人たちは、人間関係が何よりも大切であるのは世界中どこに言っても変わらないと強く信じている。米国のようにLegal Codeが強い社会では逆に長期に渡る人間関係を構築しないようにするのだと私が言うと皆、ケゲンな顔をする。
Legal Codeでは、人間関係に慣れあいや癒着が生じ、自由で公正な競争が妨げられるのを恐れる心理が強く動くのである。週末顧客とゴルフに行くのは出来れば避けたいと大抵の人が思っているだろう。法律や規則も人間関係が影響を持たないようにできている。つまり、ビジネスは一回一回が勝負なのだ。
ある時、米国顧客企業の日本支社に行って「本社ではもう14年間も研修を担当させていただいています」と挨拶をしたら、「それではもう親戚みたいなものですね」という肯定的な返事が返ってきた。次に本社に行ったときうっかり「もう14年になります」といったら、「そろそろ他の研修会社を探さなければ」と思われてしまったらしい。
日本から米国に派遣される営業担当者は、人間関係をまず作って売るという方法が余り期待できない市場で、一体どのように売ればよいのだろうか。
Moral CodeとLegal Codeでは、信頼を築く方法がまったく違うのである。Moral Code社会では“お互いを知る”ことがかぎなので、餐応や、精神的に裸になって共に‘道’(ゴルフ、カラオケetc)に励むことが有効だ。しかしLegal Code社会では(a)経験に裏づけられた役に立つノウハウや専門知識の量、(b)きちんとした契約書を交わすこと、(c) プロフェッショナルとして最高のパフォーマンスを行うことが、信頼を築くかぎ・・なのである。
従ってナンシー・シラスのケースに登場するアジア人のように、餐応さえすればあとは人間関係でことがうまく運ぶと考えるのはまったくの的外れ。また、スチーブのケースの日本人のように売り手と顧客が同等の立場で公正にビジネスを行う取り決めを受け入れられないのはLegal Codeの本質を理解していない証拠である。日本は顧客の地位が世界一高いので、売り手やサービス提供者に無私の献身を期待してしまう。Moral Codeの住人はもう少しLegal mind(法律的思考)を身につけ、接待よりもビジネスの戦略的展開に関心を払わないと、知識産業時代にオクレを取ってしまう。しかし逆もまた信なりで、Legal Codeの住人が法に触れない範囲でEQ(情動指数)を高める方法を身につければコード間の文化の断層を最小限にすることが可能になる。
その他の相違
相違は数限りない局面に表れるが、コミュニケーションに関しては別の稿に譲るとして、私が最近シンガポールで経験した例を2,3付け加えたい。
(1) 交渉術
米国ではビジネスというゲームのルールを最初にはっきり提示し、それを土台にして交渉を始める。とくに料金、支払い条件、実施できない場合の違約金の有無などは活字になったものを渡し、標準化されていることを示すのが望ましい。
シンガポールでは他のMoral Codeの国々と同様に人間関係から出発する。料金などのルールは最後に要求されたら提出するので、交渉中の感触でルールや条件はいくらでも変わりうる。
(2) 事例分析
米国ではたとえ自分の国や社会の失敗例でも事例は客観的に扱い、そこから将来役に立つノウハウを得ようとする。
シンガポールのあるトップ企業で事例を分析した際、数カ国のアジア人が参加していた が、明らかに民族的優位性や自国企業の失敗例に対する分析以前の思い入れがあった。
(3) 問題解決
問題が起きたとき、米国の特にプロフェッショナルと呼ばれる人たちは、まず状況をいろいろな角度から分析し、ソリューションを考え、なるべく早く実行に移す。
シンガポールでは、分析して問題の本質をあぶりだしたりはしない。沈黙。そして時間がたち、関係者がいなくなり、皆がそのことを忘れてしまうのを待つ。
日時: 2007年05月21日 14:20 | パーマリンク
