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2007年01月24日 15:58に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« 米国事業事始めー第十一章 全員参加の経営/マイカンパニー [鈴木一広] | メイン | アメリカの消費税 地方自治体の税源 [塚越 至] »ハリケーン被害とアジア系米人-(土地の使い捨て主義とアジア人の知恵) [塚越至]
一昨年の夏にハリケーンの襲来とその直後の洪水で壊滅的な被害を被ったニューオリンズで年末を過した。
市の中心を走る目抜き通りのカナル・ストリート通りには高層ビルがそびえる。これらのビルの窓がどれも強風で破れ、カーテンがたなびく光景は日本でも報道された。
さすがにこの目抜き通りの一角は修復が進み、一見災害の跡を留めていない。しかし、板を打ち付けて閉鎖したままの商店が散見されるし、中心街を少し離れると、当時のままの災害跡が延々と続く。
ニューオリンズは一級国道に相当するルート10が市中を貫通している。アメリカの最南端をカリフォルニアからフロリダに向けて走る交通量が多いハイウェーだ。
洪水の被害が最もひどかった市の東半分を抜けるこのルート10の両側には、いまだに後始末もしていない民家やアパート群が続く。破れたままの窓や扉が開いた玄関から見える内部は、どこも修繕が不可能な状態で、廃屋をまず取り壊して建て替えねばならない。
しかし、再び洪水のおそれがあるその一帯では損害保険の料率が跳ね上がり、建築費もかなりのコスト高といわれる。再建の見込めないゴースト・タウンのままで放置され、近代都市のかなりの部分が自然災害で消滅した、歴史上でも珍しい事例になるだろう。
ニューオリンズを脱出した被災者のその後を追跡調査した記事が紹介されている。それによれば、近辺の州だけでなく、遥かニューイングランドや太平洋岸の北部にかなりの数の住民が移動した。
大都市が大きな被害を被った最近の例では神戸の大地震がある。今でも傷跡は残るとはいえ、大部分は復旧されている。被災者が沖縄や旭川に避難して一年半後になっても戻ってこないことは、日本では考えられないことだろう。土地に余裕のない日本と、有り余る国土を持つ国との違いか、土地に執着する農耕文化と狩猟文化の違いか。
この土地の「使い捨て主義」はアメリカ史上に現れるこの国の特徴でもある。テキサスがアメリカに併合された時期には、東部や中西部に「Gone to Texas」の張り紙が溢れた。カリフォルニアで金鉱が発見された際のゴールドラッシュでも同じ現象が起きている。映画では美化されている幌馬車隊の列も、それまでの住処を捨てて西海岸に夢を追った移住者たちだった。当時の写真が残されているが、散在する家財やゴミの山はニューオリンズで再現されている。
尤も、土地の価値が日本とは比較にならず低廉で、不動産の価値は家屋にあるこの国では、土地に縛られる理由が薄いといえよう。ミシシッピー河口のデルタだった市の東部は、その昔は大湿原地帯で、元々住居に適した地ではなかった。この地に最初に住み着いたフランス人たちは、賢明にも湿原を避けて現在のフレンチ・コーター地区に居を構えた。今回の洪水でもその地区は膝下の浸水で済んでいる。
価値が皆無に近い土地に住居を新築する動機が薄いのは納得できる話しではある。
このニューオリンズからメキシコ湾に沿った東側は、ミシシッピー、アラバマ、そしてフロリダの各州が連なり、真っ白な海浜と古くからの高級住宅が海岸沿いに立ち並ぶ、アメリカでも有数の風光明媚な光景を呈していた。別荘や引退した資産家が住むこれらの邸宅は二階建ての個性豊かな家屋で、時価が数億円にのぼる瀟洒な建築物ばかりだった。
この遠浅の海岸に、ハリケーンによって引き起こされた想像を絶する高潮が襲った。道路沿いに残された、鉄骨がむき出しになった土産店の被害跡の様子から高潮の高さがわかる。建物の二階部分に達する高潮が、海岸線から数百メートル奥まで一瞬の間に襲来したのだ。
この被災地のほとんどの部分も復旧が手付かずの状態だ。ミシシッピー州の東端から海岸線にそった道路を走ったが、およそ50キロの間に修理をしたり立替えた民家は本の数軒しか目にしなかった。
復旧されたのは数軒のカジノ場とそれに付属したホテル、そしてモテルがこれも数軒で、営業中のガソリンスタンドは皆無で、ファースト・フードでさえマクドナルドが1軒に過ぎない。
半分ほどは家屋が取り壊されて基礎に打たれたコンクリートの床が露出した状態で、残りの半分はこの地でも廃屋のままで放置されている。ゴーストタウンの連続で、良く晴れた日曜日の午前中なのに道に人影さえ見かけない。
その海岸線から、帰路に内陸部に車を進めると、賑やかな一角に出た。その辺りだけは新車の車が目に付き、歩道を歩く人影がある。一群の車が駐車中の建物は食料品店だった。看板に「オリエンタル・フーズ」とある。
下車して店に入ると、中華料理やアジア諸国の食材や野菜、魚、肉のショーケースが並び、棚には日本メーカーの醤油やインスタントラーメンが置いてある。店内は中国人やタイ人などで一杯だった。
数軒先には真新しいタイ風の寺院があり、日曜日だからか着飾った家族連れが参拝の途中だった。近くのカジノで働くのかユニフォーム姿の若者はトヨタ製の大型ピックアップトラックを運転している。我が家と同じタイプで、大衆車よりは少々価格が高い。20歳台の若者の懐具合が推し量れるというものだ。
廃屋ばかりで元の住民は逃げ出したりあるいは再建を諦めてしまい、そのために価格が低落した不動産に目を付けて、海岸線から少し奥まった地帯の民家を買いあさり、集団で住んでいるのだろう。
再建のために大工や左官業は人手不足で、働き手は引く手あまたといわれる。職にこだわらず堅実な日々を過すこれらの人たちは賢明なアメリカ人といえよう。
かっては資産家の持ち家が軒を連ねていた海岸に面した一帯を、これらのアジア系アメリカ人やその子孫が代わりに占める時代はさほど先のことではなかろう。
一人当たりの所得で、建国以来の主役だった白人を既に追い抜いてしまったアジア系アメリカ人の将来を如実に語る光景だった。
日時: 2007年01月24日 15:58 | パーマリンク
