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2007年02月27日 15:49に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« 米国事業事始め 第十二章 日本企業の地域貢献/業界貢献 [鈴木一広] | メイン | 米国事業事始め 第十四章 差別を無くして/モラルを高めて [鈴木一広] »米国事業事始め 第十三章 自己PRと面談/対話のすすめ [鈴木一広]
ここでいう自己PRの自己とは、勿論自分個人も含まれるが、日系会社が外資企業として新しい地域の仲間入りをさせて頂く以上、自社のPRが大切という意味も含まれます。
1) 三月弥生は雛祭り、五月皐月の鯉のぼり
「あの大きなフィッシュ(魚)は何ですか?」
5月が近ずくと、我が社では会社正面の国旗掲揚塔に、米国旗、州の旗、社旗と並んで勇壮な鯉のぼりが、天高く舞う姿が見られます。
社員たちは、最初は驚き、疑問を抱き、そしてこれが子供に夢を託す日本の大人たちの思いと判ると、我が社の自慢話となって、家族や友人に伝わります。社員たちも日本文化を知った事への優越感にしたるのです。
この地域では、日本文化の紹介として、毎年の様に大規模な「盆踊り大会」が催されます。
地元に永住する日本人の方達と進出初期の企業代表の方達が協力しあって始めてから、すでに20余年の歴史を持つ恒例の行事になっています。
そして、大会中でのバザーや日本のクラフト品販売等で上がる収益を日本語補習校の運営費に当てているのです。
この盆踊り大会は、日本文化の紹介ですから、会社からも鯉のぼり、五月人形、雛人形等を英文での説明書付きで提供します。
これらの提供物は、会社の財産と誰もが考えていますが、違うのです。
もう二十年も昔に戻りますが、工場の立ち上げ時は勿論、機械設備を増設する度に、日本から設備の設置応援隊がやってきます。
設備設置のリーダーは、機械のプロである本社工場の課長で、何時も大勢の部下と共に来てもらいました。
生産効率を重視しますから、設備は殆ど社内で設計、製造した特殊なものになっているので、日本の専門屋さんがいないと据付は出来ないのです。
とはいっても、慣れない海外での設備据付の作業は、現地社員の応援や協力が無ければとても出来るものでもありません。
「この人達にどうやってお礼をしたら良いのでしょうね?」
現地の人達に、感謝の気持を何か形にして表したいとおっしゃるのです。
「心さえこもっていれば、何でもいいんですよ。喜びますよ!きっと!」
後日、この課長から、本当にびっくりする様な贈り物が届きました。
日本の家にあった雛人形、五月人形、鯉のぼり、何とこれらを全て会社に寄付されたのです。
「お陰さまで、内の子供達は大きくなりましたから、これからは誰かのお役に立てば本望です」との添え書きがありました。
社員たちも又、この頂き物を自分達だけの財産とせずに、盆踊りをはじめ、地域での日本文化紹介に役立てる事に賛成してくれました。
盆踊り大会には、州政府から商務省のおえら方などが駆けつけて下さいます。
そして、盆踊り会場の壇上から、、、、
「今日の来場の皆さんはじめ、私達、州民、市民は、今日、日本文化という何と“大きな贈り物”を日本の皆さんから頂いた事でしょう!」
開会式の祝辞で頂いたこの言葉が、今も記憶に残っています。
また、この盆踊りは東京で開催された日本と米南東部州の経済会議の行事でも州の紹介のひとコマとして放映されました。
会社であれ、個人であれ、海外で暮らす以上、日本の代表として地域の皆さんに自分達を知ってもらう活動も大切です。
これこそ、駐在員となってきた者が行うべき事でありましょう。駐在員は日本のPRをするセールスマンでもあるのです。
2) 社員との面談対話 / 家族面談
社員との会話が、トップマネージメントとして最も大切である事はどなたも判っておられます。
でも、判っているのと実行するのとは別物の様で、多忙という理由で案外おろそかになってはいませんか?
大勢なら無理ですが、300人や500人くらいの社員でしたら、少なくとも全員を覚えて、毎日全員に声を掛ける事は出来ると思います。
現地経営で、一番最初に学んだ事は社員との日常会話の大切さでありました。
一般に、米人達は日本人よりもストレートに自己表現をしますから、この点では、こちらも日本人よりも率直に話が出来ます。
そして彼らも、話を正面から受け取りそのまま反応してくれますから、日本人の様に「納得してくれた様に思えるのだが果たして本心はどうなんだろう?」などと言った心配が少ないのです。
ただし、問題は、会話が一週間も途絶えると、もう彼らの心はどっかへ行ってしまって、やっと築いたと思っていた友好関係など無くなってしまうのです。対話は継続が大切なのです。
とは言え、会話が大切と、いきなり話掛けても相手は戸惑いましょう。
でも、毎日、全ての社員、一人残らず全員の人たちと話がしたいのです。
この為には、社員の入社時から会話を持ち続けるシステムが必要です。
教育、訓練もしないで、いきなり工場で仕事に就かせるのは、製品を使って頂くお客様に大きな不安を与えます。
この為に、かなり計画的な入社教育が行われますが、このチャンスを利用して社員との対話の種を蒔く事に致しました。
入社教育の初日に一時間程を頂いて、社長が社員との対話を致します。
まず、会社の生い立ちや社名の由来、会社の事業と業界での位置付け、競合先や納入先、製品の説明、具体的には車が何故動くか?モーターが何故まわるか?
車の歴史、今後の車の未来像、夢の車、車社会の夢、そしてこの会社の仕組み、 特に、何故工場進出にこの地を選んだのか?を話す事は大切です。
それから、ここでの仕事の概要を説明します。こんな話をします。
工場の役目は、QCDといって無駄なく正しい製品を作って、予定通りお客様に届ける活動をするのですが、この会社では、QCDMSといってMとSを追加しています。
その中で“S”を一番重要にしています。Sとは安全の事でこれは、品質、コストや納入よりも遥かに重要で、安全面で心配なら、皆さんは直ぐ作業をやめる権利があります。
そして、QCDSが上手く行く様に皆で協力する良いモラルを築く事が大切ですが、この“M”はこのモラルの事です。
しかし、QCDSが上手くいくとMも自然に良くなるので、余り神経質に考えず早く仕事に慣れ、良い仲間を作る事を進めます。
こんな簡潔な話ですが、必ず全員にします。若し、その日の新入社員がひとりなら、一対一で話します。
話の後で、今日からお互い仲間同士になりました。これは同志であって志を同じくするという意味ですから、お互いにフランクに話が出来る様にします。
その為に、お互いにニックネームを確認し、今から、顔を見たら必ず、ニックネームで声を掛け合う約束をします。
こうすると、社員に声を掛けようという努力は要らないのです。
工場を回っていれば、顔を見た相手が必ずニックネームで声を掛けてきますから、必ず全社員と毎日話が出来るという仕掛けです。
さて、声を掛けていれば、皆さん悩みもなくハッピーなら良いのですが、世の中それほどすんなりとは参りません。
新しい職場に慣れない人、家庭の問題が仕事にまで影響する人などが必ず出てくるものです。
悩みの解決には、周囲の理解や、時には家族の理解も必要になります。
金型の修理や保全の仕事で優れた技能者がいました。
工場の周囲は工業とは無縁の場所、社員の殆どは綿農家、牧場農家、たばこ農家、工場経験があっても繊維関係か家具職人さんといった人ばかりです。
そんな中で、中年ではありましたが、他州から移ってきたこの社員はプレスなどの金型製作の経験を持つ貴重な存在でありました。
アメリカ人には珍しく口数の少ない男でしたから、彼の悩みに気が付くのに時間がかかりました。
「彼が会社を辞めるかどうかで悩んでいますけど」
同僚からの情報で判り、実情を確認したり彼と話し合ってみました。
新しい土地に来て、新住居や育ち盛りの子供たちの食事代など、経済的にかなり困っている事が判りました。
それが判っても、彼だけ特別待遇をする事も出来ません。
本当を言えば、職種、職能によって給料には差があるべきものです。
しかし、現地企業としてスタートしたばかり、給与体系も本社のシステムの継承に近いもので、要するに職務格差をつけるには勉強段階でした。
社長に相談しまして、この様な理由で有能社員を失ってはまずいので、給与格差をつけ業界から人が入りやすい会社にしましょうと提案しました。
しかし、この当時の状況では先ず安全に操業開始をしたいので、給料はなるべく差を付けず、「この会社にはヒーローは要らない、全員を公平に扱いチームワークをくずさない事が大切」「本社だって職場で給与が違うなんて事にはなっていないからねえ」という理由で提案は見送られました。
本人に、将来の企業の発展、給与システムの現地化などを説明し、もう少し長期に考えて身の振り方を考えてはどうかと、説得を試みました。
そんな話はしても待遇が急転する事は期待出来ませんから、家族の状況を確認しながら奥様とも面談する事にしました。
趣味が音楽とのことで、日曜日の教会ではボランテイア歌手として活躍されている、まことにおしとやかな感じの女性でした。
会社の将来、彼への期待、長期雇用を柱とする会社方針、米国の業界に沿って給与制度を改善して行くこと、技能者を大切にする会社であることなど、説明致しました。
話の途中でいきなり出た言葉を今も忘れません。
「貴方、この会社でずっと働いて下さい。会社がもう貴方は要らないと言われるまでこの会社にいて下さい。こんな事をわざわざ説明にきて下さる会社が他にあるとは思いません」
この一言が、彼の気持を決定し、仲間として長く働く事になりました。
その後、日本での研修を終えると治工具、金型部門のリーダーとなって、現地社員と日本指導者の技術のギャップを埋める貴重な存在となりました。
会社の給与体系もその後全面的に見直しました。そこには技能、経験、会社への影響度、貢献度などを評価にいれる仕組みも出来ていました。
短期駐在の日本人と違い、現地採用の人達はここで働く事に生活の全てをかけている訳です。
社員との通り一片の話しで無く、深い対話を通して初めて彼らの悩みや将来への期待や不安が理解できた様に思いました。
3) 千の風になって
プラスティック成形を担当する若手のホープ、リーダーでもあるDonの欠席が目立つ様になりました。
魚アレルギーで、魚類は一切食べないのに釣りが一番の趣味という変わり者でしたが健康で、明るい青年であるだけに気になりました。
「元気で、明日は会社に出るよ!って言っていましたが、何だか朝になって急に頭痛がして今日も休む事にしたそうです」
職場でも皆が心配し始めました。
会社の医局で、ドクターと相談した結果、ファミリードクターと連絡をとるという事になりました。結果はおもわしくありませんでした。
若いだけに進行が早かったのでしょう、あっと言う間に病状が悪化し入院して間も無くこの世を去ってしまったのです。
日本での研修では本社からも高い評価を得ていましたし、職場内でも誰彼なく声を掛ける明るい性格でしたから、この悲報に誰もが悲しみに沈みました。
悪性の脳腫瘍で、もう手の打ちようもない状態だったのです。
社員や家族の葬儀で何度も足を運んだ教会でしたが、友人の一人がギターの弾き語りで歌う、別れの歌、その透き通った声に、この時ばかりは誰もが胸がつぶれる思いだったのでしょう。帰りの車の中では、何時もは陽気な連中も誰ひとり声を出す者がいませんでした。
そんな中でも、会社はどんどん仕事を進めます。
そして、全員の念願がかない、この年、州で最初の環境基準ISO14000の認定を取得致しました。
これには、本社が驚きました。
「やあ~、早かったですね。驚きました」
日本時間の深夜、本社の社長から電話が入りました。本社の年度方針で、今年は企業の威信にかけて環境基準認定取得を決め、先ず本社が認定取得をしてから、各拠点に展開、本社から指導員を送る計画を立てたばかりです。
本社が認定を受けてから、まだ3ヶ月も経っていなかったのです。
「社員へのねぎらいも忘れないで下さいね」
社長の言葉もあって、早速社員へのねぎらいや祝賀会の事を考えました。
社員の総意で、環境賞であるから社内の祝賀会の代わりに、自然遊歩道を作り街に寄付しようと言う事になりました。
私達は、この事を地域のメディアを使ってPRに努めました。
大気汚染、水質汚染など地球環境の根源と考えられている企業活動、その会社が環境に如何に配慮し、改善に頑張っているかを世間の人たちに知ってもらう事が何より大切だと考えたからです。
ちなみに今の地球環境悪化の根源は何だとお思いですか?
自動車の排ガスでしょうか?化学工場の排水処理の問題でしょうか?
違うのです。諸悪の根源は、私達個人個人の生活廃棄物による汚染であって、これが地球環境の変化の主要原因になっているのです。
地球上の多くの動物が絶滅の道を辿る中、あっという間にバクテリアの如く繁殖をする、狡知に長けた人類という動物が、今まさに地球を蝕んでいるのです。
ところで、会社にも記念を残したいという願いもあって、それでは自然環境の為に植林をしようという話になりました。
何処に、どんな木を植えようか?意見をまとめている内に、誰が提案したかも判らないままに、亡くなった同僚の為にメモリアルパークを作ろうと言う意見が話題の中心になっていました。
この年、1998年、ISO認定の取得と同じ年に亡くなったDonへの思いが、まだ消えていなかったのです。
社員が増えるといろいろな事が起こります。現役のまま、若くして亡くなった社員も既に5名を数えるまでになっていました。
作る場所も、出来れば何時でも職場が見られる所にしてあげたいという要望から、駐車場から事務所、工場へ通じる小道に近い小高い丘を選びました。
そして、植え込みの中に、ここアパラチアン山脈の麓で採れる石を集め、それぞれの石に5名の名前を刻みました。
ここからなら、いつでも工場を見る事が出来ます。そよ風に乗っていつでも工場の中に入って来る事だって出来るのです。
5人の仲間たちが、何時でも近くにいるという実感、問題が起きた時などにもいつも一緒にいてくれると皆が思えるのです。対話があるのです。
ゴアー元副大統領、マスメディアでは、幻の大統領ともいわれます。
フロリダでの票読みで、ブッシュに敗れたゴアー陣営で、次期副大統領候補の一人であったのが、当時NC州知事であったハント氏であった。
この方は、大変な親日家であると同時に、日系企業の誘致では正に全米第一のセールスマンでもありました。
誘致に熱心なだけでなく、誘致した企業の面倒もよくみられ、特に熱心な教育者でもあったので、駐在員の子女教育には特に関心を持っておられた。
日本の政界にも顔の広い、民主党の大物のハントさんであったが、気さくな方で機会ある毎に、会社にきて頂いた。
その都度「何か困っている点はありませんか?」と声を掛けられた。
「この会社には、雇用者と従業員という関係が全く感じられません。そこには全ての社員をアソシエートと呼んで、同じ職場で働く仲間という意識だけしか感じられないのです」
と事ある毎に、いろいろな場所で会社のPRをして頂く事もあった。
そんなハントさんが、誰かからメモリアルパークの話を聞かれた時であった。
「カズさん、私がこの会社を好きな一番の理由はね、沢山の雇用を生んでくれたことも勿論嬉しいけれど、地域の人たちをここまで大事にしてくれる気持なんですよ」
肩に手を回しながら、「ありがとう」と言われた時、こんな発想が出来る現地の仲間達に私が感謝しなければならないと思った。
この第十三章目の執筆中に、偶然ニューヨーク在住の尊敬するコンサルタント仲間である郡司さんからメールを頂きました。
その中に、「千の風になって」の事が語られていました。
アメリカではNYでの9.11グランド ゼロ、このテロ事件の一周年記念式典で、父を亡くした11歳の少女が朗読し、有名になりました。
作者不明のこの詩のことは、NHK BSスペシャルの放送を見られた郡司さんからの便りで、次の様に書かれていました。
「千の風になって」この詩の原作者は不明である。ただ、諸説があるものの、多分アイルランド、ケルト族に伝わる古謡、1989年北アイルランド紛争に巻き込まれて戦死した当時24歳の英軍兵士Mr. Cumminsが、出征前に、若し私が戦死したら開けてくれと父母に残した手紙の中にこの詩が書かれてあり、当時全英で有名になり、多くの曲が書かれ歌われたそうです。
日本でも翻訳され、2006年の紅白歌合戦で歌われて以来、多くの人の胸を打つ名曲となって親しまれています。
私達の会社でも、生き延びている仲間たちが忘れないかぎり「千の風は」今も存在し、あの小高い丘から風になってやってきては、仲間たちとの対話が今も続いている様に思われるのです。
第十三章での教え:
1) PRの勧め:無言実行よりもやはり有言実行が大切です。地域に対する寄付金でも、その寄付金がどの様に役立ったかをメディアで公表してもらい、地域社会に自分たちの存在を理解してもらう事です。
2) 従業員との対話、時には家族ぐるみの催しを通して、会社との絆を深めて、それを続ける事。社員との対話、家族との対話、地域の人たちとの対話、どれも続ける事によって、信頼関係も続くのです。
日時: 2007年02月27日 15:49 | パーマリンク
