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2007年02月12日 15:27に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« アメリカの消費税 地方自治体の税源 [塚越 至] | メイン | 米国事業事始め 第十三章 自己PRと面談/対話のすすめ [鈴木一広] »米国事業事始め 第十二章 日本企業の地域貢献/業界貢献 [鈴木一広]
日系企業の進出は、雇用の促進を中心に地域発展の目玉として各州が積極的に働きかけ、日米双方に良い経済的効果をもたらしました。
一方、地域との文化交流、また業界への貢献度を考えますと、その評価はまちまちで全てに合格と言えるかどうか、多少疑問も残ります。
勿論、企業進出初期の駐在員の人達にとっては、地域との友好関係をどのようにして築き、又、これをどう維持するか?これは重要な課題でありました。
特に、子女教育といった駐在員家族の抱える問題にどう対処すべきか?これらの問題を会社間の壁を超え、国籍を超え、地域の人たちの援助を受けながら、やって参りました。
ところが、駐在員達の代がわりと共にその熱意にも変化が出ています。
子女教育の為に、初期の人達が地方政府の協力を得たり、また自分達の力で必死に立ち上げた日本語補習学校でありますが、後任の駐在員達にとっては、日本語補習校が存在するのは、しごく当然の事であって、むしろ「義務教育なのにどうして授業料が必要なの?」といった程度の感覚でありましょう。
残念ながら、これが現状の姿かも知れません。
更に、地域の人達との交流、地域社会への貢献となると、寄付金を出さねばならない「やむをえぬ、お付き合い」といった存在になりつつあります。
また、地域活動では短期駐在の企業代表者達と長年地域で生活をしてきた日系住民との考えの違いも問題化しているようです。
事業活動も、近年の韓国、中国等の進出に対しては、技術の物まねをする国といった印象を持つのが我々日本の企業人の様ですが、かっての日本はどうであり、日本が技術の世界で業界にどのような貢献をしてきたのか?疑問もあります。
業界への貢献度は業種によっては, まちまちですが、我々が考えている程日本の評価は高いと言えないのです。
この章では、多少やわらかい話題をまじえながら、社会貢献など地域社会や業界との交流と言う問題についてまとめてみたいと思います。
1) 日本自動車の世界貢献
ニューヨークのテロ襲撃の影響で延期となっていた日本と米国南東部7州による経済開発連絡会議(SUES/J 定例会議)が、2003年の9月も末になって、大阪のホテル、ニューオータニで開催された。
会場では、当時のトヨタ自動車社長、張富士夫氏に会う事が出来た。
張社長にお目に掛かるのは、氏が、未だケンタッキーの米国会社の社長をされていた時以来の事であった。
日本側の代表として、特別講演をされる為の来阪であった。
大勢の日米代表団を前にして、氏が講演された内容は、自動車業界を意外な切り口から考察されたもので、興味をそそられた。
一般に、日本企業を代表して、この種の講演では、主に自社が北米で成し遂げてきた事業の過程、そしてこれに関連する地域社会への貢献、そして企業活動の支援に対する地域への感謝というのが、通例である。
張氏の講演は、北米市場における日本の自動車の成長と言うより、今迄日本の業界が世界の自動車業界から受けてきた恩恵と、今後、その恩恵に報いる事が出来るのか?どうか?という観点にたって話されたものであった。
米国市場へは、米国工場での現地生産品で対応するというのが地域産業を目指すトヨタの方針であった。
しかし、現実には、高い市場要求を満たすため、依然として相当量を日本からの輸入に頼らざるを得ないのが実態である。
大きな理由の一つは、ガソリン価格の高騰に、市場が燃費の良い車を要求、特にトヨタの場合、ハイブリッド車投入による時代の先取りが大きかった。
車つくりの歴史として、ここに一つの技術の変遷が見られます。
本来、ハイブリッドそのものの基本技術理論は、それほど目新しいものとはいえません。ただし、生産上のKnow-Howは以外に難しく、トヨタと技術契約を結んだ各社が、技術供与を受けても実際には生産が出来ず、トヨタの部品メーカーからの部品購入に頼らざるを得ないのが現状です。
若し、業界にトヨタの存在価値があり、業界に恩返しが出来るとすれば、このハイブリッド技術の普及かも知れない。これが氏の話の内容です。
昨今の日本車の活躍は、市場への影響という点では、見るべきものはあっても、技術面では、欧米に学び、長年にわたる「追いつけ、追い越せ」の努力の継続で、実際には、欧米技術の恩恵を受け続けてきた事に他ならない。
それは、日本の自動車の黎明期、日本人だけの手で、始めて自動車をつくりあげたトヨタといえども同じである。
ましてや、他の日本のカーメーカーは全て外資からの援助で自動車つくりを始めたが、それは正に“忠実なる技術の模倣”であった。
ただ、類まれな真面目で、勤勉な作業者に恵まれた日本企業では、他国からの技術援助を受けながらも、それを継続的改善努力によって更なる技術の高みへと押し上げてきた。しかし、それだけに他ならないのだ。
異論をはさむ人もあろうが、わずか50年程前の事、筆者などが設計に配属された部品会社での仕事は、名古屋の外車ディーラーの「やなせ」さんへ足を運びフォード等の部品を買ってきて、ノギス、マイクロメーターで寸法を測定、一所懸命にコピーする事であった。それが上司の指示であった。
若い世代の人達には信じられないかも知れないが、これが今や世界をリードする日本の一流自動車部品メーカーの半世紀前の姿であった。
技術の改善と言う面は別にしても、自動車技術全般をイノベーションという観点でみれば、現在も少しも変わっていないのでは無いだろうか?
業界の差こそあれ、過去における日本の世界に対する技術貢献度は、おおむねこんなものであろう。
だからこそ、ハイブリッド技術が“地球環境といった自動車の黎明期には存在しなかった課題” の解決に、若し寄与出来るのであれば、日本の自動車技術が初めて世界に貢献できるかも知れないと氏は言われるのである。
もっとも、技術の話で過去を語っても仕方のないこと。果たして日本人はイノベーションの能力に欠けるのか?決してそうとも思えない。ただし、イノベーションが育つ社会文化でなかった事は事実であろう。
技術者の目は純粋に未来をみつめるが、経営者は今日、明日に視野を向けねばならない。そのどちらに重きが掛かるかによって社会文化が決まるのではなかろうか?
2) ゴルフでござる
話は、急展開でおかしな話題になりましたが、業界との付き合いや地域の商工会等との付き合いも、他人様の土地に入り込んで事業を営む上では大切な事であります。
付き合いと言うより、米国企業の方々から学ぶ貴重な機会でもあります。
私どもが、ミシガン州に次いで工場進出をしましたのは、南部のNC州です。
ここは、アメリカのゴルフのメッカで、かって「ゴルフの殿堂」が置かれたパインハーストの町もあってか?皆さんゴルフがお好きの様です。
経営研究の講習会、市や商工会が主催する企業連絡会などのプログラムにも組み込まれる行事のひとつがゴルフです。
初めて講習会に出席した時は驚きました。
講習会の日程計画表の中に「ティータイム」というのがありました。
「あ~、これは会議途中のコーヒー休憩時間であろう」と思ったのです。
ちなみに、ここ南部地方は、イギリス文化の名残りが濃く、飲み物と言えば、コーヒーよりも先ず紅茶(ティー)の方が一般的です。
デトロイトから移ってきた当初は、随分まごついたものです。
朝食以外で、うっかり「コーヒーをお願いしま~す」
何て言おうものなら、「今から新しいのを入れますから、お待ち下さい」と言う事になって、一人だけ仲間外れで、飲み物を待つはめになります。
ところで、プログラムの中のティータイム、ちょっと時間が長過ぎます。
これでは、午後は、お茶の時間だけで終わってしまいます。
「ははぁ~ん、これは多分、お茶プラス懇談会だな?」と思ったのです。
でも違いました。スペルをよく見るとTeaではなくTeeであって、要するにゴルフのTee-Upタイムの事だったのです。
社員達が、一所懸命に働いているのにウィークディでのゴルフ?ちょっと後ろめたい気もしまして最初は断ってしまいました。
ところが、これはとんでもない心得違いでありました。
「お前の会社は、経営者同士のゴルフに参加が出来ない程不景気か?」
「それとも、お前のボスは地元の経営者との会話には興味が無い訳?」
翌週になって、人事部長が、近くの会社の社長がこう言って忠告してくれましたが、どうしたのですかと心配そうにやってきたのです。
どうも本心は、心配と言うより忠告にきたようです。勤務中の社員との差別を意識する私に、彼の答えは何と「これは差別でなく区別です」でした。
現地では、こんな形でトップ同士が情報交換をしたり、お互いに勉強をしている事を知ったのです。
ゴルフの楽しみ方もいろいろあって、面白い勉強も致しました。
ある日のゴルフ、商工会の仲間達との懇親会をかねてのプレーでしたが、あるホールでのティーショット、私が“何という不運か”(?)数少ない林の中にボールを打ち込んでしまいました。
「どうやって打とうかな?」無理すればクラブが木に当たるかも知れません。
その時、トコトコとやってきた仲間の一人が言いました。
「カズ!お前って何時からPGAのメンバーになった?」「えっ!??」
「彼らは、ゴルフに生活をかけている連中、ルールの中で必死に競争をしているのだ!俺たちは必死に働いた余暇を楽しもうとゴルフをしているのだよ!」
「この方が、楽に打てて道具も傷めず、それより何より楽しいでしょ!」
と言うや、私のボールを足でポーンと蹴って林の外へ出してしまいました。
それを見ていた仲間の人達が、こうおっしゃたのです。
「ああ!これはいい。これだったら、楽に打てていいよね!」「??ハイ~」
とんだルールのゴルフとは思いましたが、楽しく有意義な一日でした。
ゴルフを楽しみながら、教育システムの問題や、身障者(今は差別用語でハンデキャップとは言えずディスアビリティですが)施設の改修の話などいろいろな問題をオープンに話す事が出来ました。
又、こんなゴルフもありました。
地元商工会の連中とのゴルフです。腕前もまちまちで、かなり大叩きする人達もいましたから、俺はまあまあかな?と思って安心していました。
ところが、終わってから皆さんのスコアーの良いのに驚きました。
驚いていたら、仲間の一人がやってきて、「カズはどうだったの?」そしてスコアーカードを見て大笑い。
「ゴルフはパーを目指してやるもので、これが出来ない時は失敗な訳よ!失敗の数をムキになって数えたってしょうがないから、我々はダブルボギーが上限でそれ以上はカウントしないって主義さ、ハハハ!」
「それに第一、家内にも自慢が出来るってもんさ!」
「ごもっとも、ごもっとも」
勿論、全部がそんなゴルフではなく、時には厳格なルールのもとで、監視員付きで競う大会もありますが、意外とチームプレーのものが多く、チームで助け合ってスコアーを延ばすのもスポーツの醍醐味です。
そして何よりも、そこには共通の目標に向かう仲間意識も生まれるのです。
こんな仲間を通して、地域の情報、時には組合対策で全員が情報を持ち寄って話をする事もあります。地域社会に入ってこそ学べる貴重な体験です。
職場内でのライダーカップ(国別対抗戦)、他社との対抗戦等いろいろ大会を持ちましたが、全て地域発展のチャリティになり、ゴルフも馬鹿になりません。
たかがゴルフ、されどゴルフ、古い様ですが、こんな言葉が似合います。
3) 職場の垣根を越える友情
人は、働くことの他にも何か生き甲斐を見出すものです。
がむしゃらに働いてくれる社員も悪くはありませんが、働く仲間同士を強い絆で結びつけようとする人とか、我々の職場が社会に役立つ方法を見つけようとする人達も又、大切な存在で、特に外資企業では有り難い存在です。
残念ながら、本社派遣の日系企業のトップたちの知恵などは、地域の実態が判らないので、大した事はないのです。
地域の貢献は、「寄付金で!」等という貧弱な発想では地域の発展に協力出来たとしても“地域の人の輪の中”には入れてもらえないのです。
「金を出すよりも老人ホームの改修に行こうよ!」という私の呼びかけに一斉に立ち上がってくれるのも現地社員です。
そして、掛け声ばかりで、からきし実務に弱い日本人と違って、常日頃から日曜大工の経験を積んでいるアメリカ人社員たちは、誰でも何か一つは役立つものを持っています。
一般的な米人の家庭、彼らの車庫は玄人はだし、もう工具で一杯なのです。
これは、奥さんの“ハニードューリスト”に答えねばならないからです。
要するに「貴方ぁ~(ハニー)これをやって(ドュー)のリスト」であって、このハニードューは、ハニードューメロンの様に、決して甘いものではなく旦那方は家庭では正に働き蜂なのです。
老人ホームの修理、身障児童施設の大掃除など、大勢の社員が喜んで工具片手に遠足気分で駆けつけてくれます。
施設に住む人達の素直な感謝の反応は、労力を提供した者達を彼ら以上に幸せな気分にしてしまいます。
感謝の気持を、金で表せない人達は態度や声で、時には文章で発表します。
身障児童施設の改修をした時、「大勢の子供たちがバスでやってきて直接お礼がしたいと言っていましたが、貴方が出張中でがっかりして帰りました」
この時、直ぐにでも施設を訪ねるべきであったのに「ああ、そうですか」で済ませてしまった事を、退職後の今も悔やんでいます。
この子らの声が、やがてホワイトハウスに届き、クリントン大統領からの感謝状となって会社に届きました。
職場の楽しみ、社員感謝デーが近ずいてきた時でありました。
社員家族全員による、お祭りの行事も整い、業者との準備も進んでいました。
そんな矢先、この州の東海岸部で大雨による大洪水が起こりました。
1998年に起きた、あの死者、行方不明者、何百人という大災害で、この地域にも姉妹工場を持っていた我が社もこの災害に巻き込まれました。
会社としては、直ちに支援活動の準備を始めました。
この時、会社の決断より早く行動を起したのは、社員達です。
「今年の感謝デーは見送り、全ての費用を支援に当てたいので、社長の了解が欲しいのですが?」祭り準備委員の連中の申し込みです。
「子供達も楽しみにしていた行事だから、中止しなくても大丈夫。支援費用は、ちゃんと会社で考えているから」
彼らは、「それは違いますよ」と言うのです。
「我々の同士、友人達が、大勢苦しんでいる中で自分たちだけが楽しむ事は出来ない」というのです。
この提案を、全社会議にかけた時、全員が立ち上がり、嵐の様な拍手をもって賛成してくれたのです。
私は思いました。「情のない」会社、社会は駄目だと思いました。
かっては情を絆に成り立っていた日本文化も戦後の経済復興の裏に裕福な物質文明を満喫できた事による弊害も出ています。情から金への量りの重さの変化といえましょうか。
一方、物質主義文化と思われていた米国は昔からの“情と金”のバランスを保ち続けている様に思えます。
戦後、海外事業を担当する事になった初期の駐在員の方達が受けたのは、当時日本とは比較にならない程進んでいた物質文明の恩恵というよりも、人の情によって支えられた思いの方が大きかったのではないだろうか?
新聞等でみる著名人達の「私の履歴書」欄等にも、殆どの方が駐在員時代に既知を得た現地の方々との思いに、多くを語られている事からも判ります。
部下を厳しく叱るにも「情の」あるのと無いのでは天と地の開きがあります。
最近では、部下を叱らなくなった人や、逆に自分の感情を抑えきれず部下に怒りをぶっつけている人が多くなっているように思います。
厳しい管理社会の中では、判らなくも無いのですが、怒っているのと情を持って部下を叱っているのとは、全く別物です。
実は、もう30年以上も前の話ですが、貴重な経験をしました。
現地で起きたトラブルを本社に報告をしていた時の事です。
「貴方は、それでもエンジニヤーなのか?」
温和な上司で一度も叱られた事が無かっただけに、この一言はこたえました。
現地で一人で頑張っているのに「何と侮辱的な言葉か?」若気のいたりで、こちらも“ぷっつん”と切れて、当時1分間、2、3千円もする高い国際電話でお互いが暫らく沈黙してしまいました。
それでも、たった一人海外におっぽり出して可哀想にと思われてか?「まあ、大変とは思うが、お客様の為に真の原因を早く見付ける様に頼むよ!」と上司の方からその場をおさめてもらいました。
何十年も経って、お互いに会社を離れた現在も一時帰国の際には、この上司とは必ず食事を共にして頂いていますが、少し前の昼食会の事です。
「もう大昔の事ですが、会長から貴方はそれでもエンジニヤーなのか?って電話で叱られた事がありますね」と話しました。
「えっ!私、そんな失礼な事言いましたっけ?」と、とぼけられました。
「私は、電話の後、寝付けなくて一晩中考えました。怒りが静まって気がついたのは、苦しさのあまり、言い訳ばかりで、問題の焦点とは別の報告をしていました。あれから、もう生涯決して言い訳をしないと心に決めました」
「そう!、やっぱり貴方はちゃんと理解してくれていたんだねえ。本当にありがとう」何と、ちゃんと覚えていて、気にしていてもらえたのだ。
「実は、私もね40歳を過ぎてデンソーへ再就職したが、前任者の仕事で大問題が出た。その時社長から言い訳はするな!言い訳からは何も生まれないぞ!と叱られた。この一言が私の仕事をず~っと支えてくれたんだよ」
お互いに叱られた事を懐かしく、ほろ苦く思い出しながら、暫らく黙ったまま、箸を動かしていました。
現役時代にも「カズさん、地域社会への貢献や、感謝の気持ちは“情”があるか?ないか?それが全てであって、相手には恋愛感情と同じで、どんな言葉で表しても本心は読み取られてしまうものですよ」とよく教えられてきました。
心の全くこもっていない地域貢献活動は、時として、相手には大企業の規模による力の金銭的横暴以外の何物でもないのかも知れません。
ある時、日系企業と地域社会の協賛事業の会議で、「ボランティアに力を入れる時間があったら、もっと本業に力をいれろ!って本社の社長に叱られたから、余り協力出来ない」代表会社の一人から発言があった。
真に残念な発言でした。
「貴方もそんなダメな社長の下で働くのでは、大変ですね」と言ったら相手は黙ってしまった。
地域社会との協賛行事は地域の方々にとってはボランティアですが、現地進出をした我々には本業と同じ重要な仕事であろうと思います。
日系会社の多くが、現地交流、人の現地化等をうまく進められない真の原因は本社のトップの質の問題でありましょう。
この事が理解出来ずに、業績の海外寄与分が多少増えたからといって、我が社も国際企業になった、などと思う様では、経営者としては失格であります。
何よりもこんな社長がいては、会社の為にならないと思います。
情を込めた教育と仕事を任せる度量無しに人の現地化は進みません。又、地域貢献といっても友情のない活動では地域への仲間入りなど出来ないのです。
第十二章での教え:
1) 実務を通して学ぶ事も大切ですが、地域社会との交流で学ぶ事も多い、又進出企業にとって地域社会への貢献はボランティアでは無く本業なのです。本社がこれを理解しないなら海外進出はあきらめる事です。
2) 企業の国際化や人の現地化が進まない一番の理由は、本社自体の国際化が遅れているのと、本社の経営者自身の経営者としての素質の問題か?経営者が“時代の変化”にまだ目覚めていないか?のどちらかです。
3) 仕事を通し、業界の情報収集、経営の勉強をしたつもりでいても、それらの全ては人の情を通じて出来ているのです。情の欠如した人の営みは何とさみしい事か。昨今の目を被うような事件を見る時、情を忘れた人のおろかさが判る。情の無い会社、社会、それは正に「情けない」会社、社会ではなかろうか?
日時: 2007年02月12日 15:27 | パーマリンク
