検索
最近のエントリー
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (11) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (10) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (9) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (8) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (7) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (6) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (5) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (4) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (3) 渥美 育子
- 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (2) 渥美 育子
About
2007年05月22日 13:57に投稿されたエントリーのページです。他にも多くのトピックエントリーがあります。メインページやアーカイブページをご覧下さい。
« 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (3) 渥美 育子 | メイン | 日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (5) 渥美 育子 »日本企業のためのグローバルビジネス成功法則 (4) 渥美 育子
インターカルチュラル・ビジネスセンター社
社長 渥美 育子
法則4:コードが違えばルールも違う(続き)ーReligious Code
今回は三つ目のコードであるReligious Codeに注目して、Moral Code, Legal Code と比較してみたい。Religious Codeとは宗教の教えが政治・経済・ビジネスの仕方、生活習慣にいたるまですべてを支配するケースである。従ってキリスト教はたとえ米国が非常時に際してプロテスタント原理主義に傾いていようとも、Religious Codeではない。Religious Codeは即、イスラムである。
世界人口の1/5以上を占め、さらに急速に増加しているといわれるイスラム教徒と、日本人はどのように波長を合わせてビジネスをしていけばよいか。次のような基本的理解と姿勢が、事例に行く前にまず必要ではないだろうか。
(1) 広大なイスラム文化圏(北アフリカ、中東、アジアの数カ国など)のどこにいっても変わることのない絶対性に根ざした宗教コードの内容をまずしっかりとらえる。 つまり、手厚いもてなしを受けたというようなMoral Codeとの一部の類似性を経験しても、決して人間関係が進展しているなどと早のみこみをしてはいけない。
(2) 回教では1日5回の礼拝、ラマダンの断食、一生に少なくとも一度のメッカへの巡礼、喜捨など、“よい回教徒”であるためには絶えず身体をはって戒律を生きる・・・ことを要求される。この厳しさを経験したことのない者は、例えば工場労働者に回教徒が多いので仕事の効率が落ちるなどと、まったく次元が違うことを言ったりしないほうがよい。
(3) しかし身体をはって何百年も“正真正銘”の教えを存続してきたために、イスラムは「近代化」という世界の流れにうまく乗ることが出来なかった。従って「近代化」というレンズを通して回教徒のビジネスの仕方は女性差別だとか、効率が悪いと憤るよりも、彼等のコードを尊重しながら成果を挙げる方法を学んだり(事例参照)、アラブの若い意思決定者たちの行動パターンに変化が見られるか、湾岸地域で女性がどのようにビジネスに進出しているか、といった現実の変化に着目して、自己の戦術の参考にしたほうが効率がよい。
(4) 世界のどこにいようとも、イスラム教徒は強い一体感を持ち、共同体として連動できる。かつては優秀な商人を輩出して世界地図を塗りかえてきた。今後日本人が、イスラム教徒と世界市場でどう共存していけるかは、中国人とどう共存していけるかと同じように最重要課題の一つだと言っていい。
日本企業の会社概要などを見るとビジョンやミッションには必ずといっていいほど「世界のお客様に貢献したい」とか「世界の人々に真心込めてお届けする」という表現が並んでいるが、世界の人々の中にイスラム教徒も入っているのだろうか。
お客様だけではない。キリスト教文化圏であるEUがイスラム教国のトルコを取り込み、中国を抱き込もうとしている戦略を見るにつけ、日本企業も世界市場を大きな碁盤にみたてて、戦略の視野にイスラムを入れる時が来ているのではないか、と思う。
事例を使ってイスラム教徒のコードの特徴をいくつか探ってみよう。
判断基準:“よい回教徒”(Good Muslim)か否か
〔事例〕
サウジアラビアのビジネスマンが英国を訪れ、現地のサプライヤーとテクニカルサポート担当者の3人でホテルの部屋を借りて商談をしていた。話し合いが終わりに近づき結論を出そうという段階になったとき、中東から来たビジネスマンは突然時計を見て「ちょっと失礼」と席を立ち、返事も待たずにコンパスを取り出してメッカの方角を確認した。そして洗面所に行き靴を脱ぎ、手や顔を洗って小さなカーペットを部屋の隅の床に敷き、お祈りを始めた。10分も祈り続けただろうか。彼はカーペットをたたみ、靴をはき、驚きを隠せないイギリス人との商談に戻った。
〔解説〕
宗教上の義務を他の全てに優先させるのが“よい回教徒”の判定基準である。商談を済ませてから祈ったらどうか、とか、ビジネスより宗教を優先させるのはおかしい、とか、異なるコードを基準にして疑問を呈しても意味がない。それよりもこの人は“よい回教徒”なのだと理解して、商談が終わったら互いの文化や信念について卆直に話し合えば、人間関係を築くよいチャンスになるだろう。
〔事例〕
前号のサナポーンさんとドイツ本社からタイに赴任してきたドイツ人上司のケースを思い起こしてほしい。もしどちらかがReligious Codeの国であったら結果はどう違っていたであろうか。
〔解説〕
もし上司が回教国から赴任してきたとすれば、タイ人女性の部下は会社への貢献を感謝され、節約した45%のうちの一部をボーナスとしてもらったかもしれない。
もし上司のドイツ人がReligious Codeの国へ赴任して同様のことが起きたら、事例と同様にLegal Codeを適用して不信感におちいっただろう。ただし回教国でドイツ人上司が自らこの高価な設備の購入にあたれば、30%は割高な外国人用の値段を要求されるだろうから、計75%の損失をこうむる可能性が強い。
グローバルビジネスでは、いわば右手にStandard/rulesを左手にdiversity/localizationを掲げてたえず最適化をはかりながら前進する必要がある。
価値の中心:イスラムの宗教倫理に基づく人間関係
“よい回教徒”であるためには神から与えられた戒律を守って生きる(六信五行)だけでなく、“人との約束を守る”“公正である”“高潔さを守り抜く”といった宗教倫理に基づいて行動することが強く求められる。宗教倫理は一見Moral Codeにおける“徳”Legal Codeにおける合法性という倫理を合わせ持つように見えるが、神の教えに根ざしているのが条件なのはいうまでもない。
〔事例〕
ヨーロッパに本拠を置くある高級ファッションアクセサリーの製造会社が、中東のある国に新規開店したブティックとよいビジネス関係を築づいた。ブティックに卸したいくつかの品の中に現地のお客に気に入られて飛ぶように売れるハンドバッグがあった。ブティックの店長は、アクセサリー会社の現地法人の副社長にこのハンドバッグをもっとヨーロッパから取り寄せるよう依頼。副社長は「ヨーロッパでも品不足ですが、最善を尽くして取り寄せます。」と答えた。
当時湾岸地域のブティックに商品を卸しているヨーロッパのファッション関係の業者の間で、なるべく要求される商品を送らないようにして需要をあおり、価格操作をする傾向が見られた。現地の副社長も言われるとおりにバックを送る気は最初から無なかったのだ。数週間後ブティックの店長は「あいにく品切れ」のFaxを受け取り、この件は忘れられて、何事もなくビジネスが続くように見えた。
二ヵ月後、突然ブティックの店長はこの業者との関係を絶ち、卸値がもっと高いにもかかわらず競合会社に乗り換えた。
〔解説〕
おそらくヨーロッパの業者は価格操作を行ったことはたなに上げ、アラブ人は非情だ、コミュニケーションも人並みに出来ないと憤り、アラブ人はヨーロッパ人の業者は悪質で不正直だからこれは当然の結末だと自己正当化したことだろう。 3つの問題が指摘できる。
* ヨーロッパの業者はイスラム教徒にとって宗教倫理に基づく信頼関係がいかに大切であるかを知らなかった。「大筋さえ通しておけば、小さな問題には目をつむる」ではなく。「小さなことにさえ不正直なら、大きなビジネスで信頼できるわけはない」という発想である。
* ヨーロッパ人の業者は問題が提起されなかったのでアラブ人がこれを受け入れたと理解した。しかしアラブ人はヨーロッパ人の問題をアラブ人が提起することはぶしつけな行為なので、ヨーロッパ人がこの件を切り出すのを心待ちにしていたのだ。 これはLow context 対 High contextというコミュニケーションスタイルの違いであり、別の法則で取り上げる予定である。
* ブティックの店長は業者の約束を信用して地元の顧客に対して商品は必ず来ますと保障したに違いない。これが破れたので彼は顧客に対して面子を失った。
宗教倫理、コミュニケーションスタイルの違い、顧客の信用と面子の問題。この一軒単純に見えるケースも、分析してみると根本的な問題をはらんでいることが分かる。
信頼の構築手段:付き合いの長さとコネ(クション)
付き合いが長ければ長いほど信頼が増し、「私の友達の友達は私の友達」という公式が成り立つ点ではMoral CodeとReligious Codeはさほど変わらない。さらに、口約束が契約書よりも重要で、契約書はたがいに信用できない者どうしが使う手段だという認識もMoral Codeと同じである。しかし相違はReligious Codeの国では契約書に違反したものを訴えようにもLegal Codeにおけるような司法制度が発達していない点である。従って契約書は気休めか、勝ち取ったディールのトロフィーかになる。
〔事例〕
デュバイに住むビジネスウーマンのヤシンさんは、レバノンにある会社と取引をしたいと思った。相手企業がどれほどしんけんになってくれるか確認するため、彼女はヨーロッパ在住ではあるがレバノンの人たちと付き合いが深いイーファン博士に電話をかけた。イーファン博士とは信頼しあえる仲だった。
イーファン博士はすぐベイルートに住む知人6人とコンタクトを取り、レバノンの会社のCEOを知らないかとたずねた。運良くそのうちの一人がCEOと個人的付き合いがあり、話を聞いてヤシンさんを自分の家族のように信頼できる人間だとCEOに口頭で伝える約束をしてくれた。イーファン博士はヤシンさんにこれを伝え、レバノンの会社と直接話を進めるようアドバイスした。
二、三週間後ヤシンさんはベイルートに飛び、CEOと会見、非常によい条件で取引は成立した。彼女は契約書を交わすこともなく即刻前金を支払いデュバイに帰った。さらに二週間後、口約束した通りの契約書が作成され、経理担当者が全てを取り仕切った。
〔事例〕
これは典型的な「私の友達の友達は私の友達」の例で、ベイルートの会社のCEOは友達が保障したのでヤシンさんを初めからまるで友人のように優遇した。イーファン博士も彼自身の信用の裏づけで彼女をバックアップしている。このような信頼関係を築くには20年以上を要するだろう。信用→ディールの成立→形式としての契約書の作成というプロセス はLegal Codeのプロセスのまさに正反対である。
関係維持の手段:気前の良さ、面子の維持、相手の利益を忘れぬこと
ここでもMoral Codeとの類似が多くみられる。例えば、自分の判断で相手を評価するよりも、他の人々が伝える評判に従う集団意識。“Favor”(親切)の交換による助け合い。相手の利益を忘れないということは“Favor”の交換が儒教圏の中国人、韓国人、日本人の慣習と同じく、〈お返しの原理〉に裏打ちされている証拠である。
〔事例〕
バーンハートさんはジュネーブに本店があるスイス銀行のプライベートバンカーである。この銀行は大した宣伝もしないのに湾岸地域に住む高額所得者を多く顧客にしていた。競合銀行が金に糸目もつけず同地域で広告キャンペーンを試みたがうまくいかなかった。
バーンハートさんはもてなし上手で、湾岸地域の顧客のちょっとした問題をいつも解決してあげるような、この地域ではよく観られるタイプのマネージメントのプロだった。例えば顧客の子供のために学校探しを手伝ってあげるとか、信用できる不動産業者を紹介してあげるといったサービスである。彼が中東に旅行するときには顧客が競ってもてなしてくれるのだった。
〔事例〕
シンガポール人社員が米国に旅行してアメリカ人同僚から冷たい扱いを受けたと感じた全号の事例をもう一度考えてみよう。どちらかがReligious Codeの国であったら状況は違っていただろうか。
〔解説〕
Religious Codeの国では、ビジネスと個人生活はいわば“陸続き”であり、もてなしは最高の価値(Code of honour)の一つとみなされている。
従ってシンガポール人のエンジニアがイスラムの国に出張したとしたら、毎日仕事のあとと週末にも暖かい歓迎を受けたに違いない。
逆にReligious Codeの国の社員が米国に出張したら、腹を立てるのはシンガポール人の比ではないだろう。回教文化圏では、もてなしをしないのは人間として最低のマナーだとみなされるからである。
交渉:個人ベース、結果は神の意志
交渉は個人ベースだが、もちろんReligious Codeによる制約が大きい。“Divine Truths”に触れる領域はオフリミット。交渉の対象にならない。また二元論的アプローチは機能しない。
宗教とビジネスは切り離す。特にアラブ人は決定が遅い。忍耐の一文字。ベストを尽くしてあとは神の意志にゆだねる。良いディールとは多くの利益が“友人”に行くような場合である。またMoral Codeに見られるように、地位の高い者が多くを得、下の者は少しずつ取り分が少なくなるのは当然な分け方とみなされる。
〔事例〕
フランス人のビジネスマン モレル氏が商用で中東に旅行した。約束の時間が9時半だったので9時25分に到着した。秘書が出てきて「お待ち下さい」と言った。10時になって秘書が再び出てきて「今Mallにいますのであと30分で到着します」と伝えた。モレル氏はMallと聞いて今頃買い物をしているとは…と内心あきれたが黙っていた。10時45分になって現地のビジネスマンは8人の男性を引き連れてようやく姿を現した。モレル氏は応接室に案内されたが居心地が悪かった。ミーティングが始まった。遅れを取り戻そうとモレル氏はすぐさま要件に入り、製品についてのプレゼンテーションを行った。男達が黙って聞いているので効果が上がっていると思い、競合会社の製品と比較してどこが優れているのか強調し、力強く締めくくった。現地ビジネスマンの代表が「It looks good.Insha’ Allah.We’ll get in touch with you soon」と言った。
その後数ヶ月過ぎたが、何の連絡もない。
〔解説〕
モレル氏は明らかに現地の文化を理解していなかった。
* イスラム文化圏では“時間”は“Open ended”で、いわば永劫につながっている。時間厳守は重要な価値観ではない。
* アラブ人にとって“忍耐強さ”こそ知恵であり、真剣である証拠である。アラーを信じてよい事は忍耐強く待つのが正しい態度と考えられている。
* 現地の男性は他の人も興味を持つかもしれないと、親切心から大勢ひきつれて来た。
* 商談は非常に個人ベースで進むので、モレル氏がビジネス以外の事は何も話さなかったのが致命的となった。
〔解説〕
私もこれに似た経験をしている。IBC社のインストラクターの一人にエジプト人のイスラム教徒がいた。いつも他のインストラクターの2倍から3倍の料金を要求するのでなかなか仕事が彼のところに来ない。しかし彼はあきらめなかった。何度も何度も電話をかけてきた。会話は常に「ご家族はお元気ですか」で始まり、「ビジネスの上では折り合いがつかなかったが私達の友情は永遠です」で終わった。そうこうするうちに、家族の話や旅行の話しをするようになり、ついにはエジプトで息子が結婚するので来てほしいとか、私のほうもかれの便宜をはかるため中東のある人を紹介したりした。
そこへ超一流の企業から大型プロジェクトが舞い込んだ。私は彼にインストラクターの一人として“友情出演”を依頼。彼は普通の料金の半分で引き受けて、すばらしい仕事をしてくれた。その後も彼の定期的アプローチが続いたのはいうまでもない。
〔解説〕
* 彼は自分の価値として設定した一日の料金を絶対に変えなかった。彼自身の価値は普遍だからであろう。
* イスラム文化圏では一般に標準料金と言うものはない。相手が現地人か外国人か友人かによって料金は変わる。このケースは時間がたつにつれ、ビジネス関係が個人ベースになり、友情や信頼も芽生えたため、“友情出演”が可能になった。彼の交渉相手がもしLegal Codeの人間なら条件が合わないということで初回で交渉は決裂したことだろう。Moral Codeの人間なら、妥協を引き出そうと粘ったかもしれない。が結局要求額に近い料金を払うか、彼の頑固さにあきれて、あきらめるかであっただろう。
* 超一流企業からプロジェクトが来たのはまさに“神の意志”。彼は料金を下げても面子を保つことが出来たし、コネとしても申し分が無かった。また、友情も実を結んだ。
学習のパターン:事例への感情移入と合理的分析から教訓を得る
絶対性を持つCodeのために誤解されやすいが、イスラムの人たちの学習パターンは仏教における“中庸を重んじる”のと極めて似ている。つまり、感情と合理性のバランスが重んじられるのだ。人生における“知恵”に価値をおくため、専門知識を持つ若いエンジニアよりも年配の“人生の達人”の言葉が重んじられる点でもMoral Codeと共通している。
問題解決:仲裁、“許し”か“復讐の原理”か
従って問題が起きた際には、そうした“知恵ある者”が仲介し、両者の言い分を聞く。
* ビジネスと個人的関係を分離させ、面子がかかわらないようにする。しかし原因が個人的な態度や行動にあれば事はもっと深刻になる。
* 〈復讐の原理〉が存在する。一方が悪いと判断された場合、お詫びと償いの結果、他方が許せば罰せられないし、許さなければReligious Lawによって罰を受ける。日本のようにお詫びは暗黙のうちにいわば神道のみそぎの儀式とみなされ、お詫びをすれば浄められて即座に許される文化とは、根本的に違うのである。
最後に、日本企業の失敗例を見るとイスラムの人々が何を神聖とみなしているかをまずよく理解して、それを犯さないよう最大の注意を払うのがいかに大切かがよく分かる。
例えば、
・ 最後の預言者ムハンマドを呼びすてにしない。 必ずProphet Mohammad(PBUH)、つまり預言者ムハンマド(PBUH)と書く。PBUHとはPeace be upon Himの省略である。
・ アラビア語で書かれた『聖クルアーン』(日本人のいうコーラン)を連想させるような図案をいかなる場合にも使用しない。
・ 豚肉を食事として提供してはいけないし、どんな形でも豚が混入しているものを絶対に使用してはいけない。
・ 酒、ギャンブル、いかがわしいとみなされる全ての娯楽、銀行の金利、その他戒律で定められている全てのタブーをタブーとみなす。
東南アジアのイスラム教徒の戒律に対する態度はそれほどきびしくないといわれるが、それは当人の選択であり、日本人は例外よりも根本原理の理解にこだわるべきである。
(この稿は、2月に設立されたIBCヨーロッパオフィスを経営するシャージール・アントワーヌ・ムティエ氏の教示によるところが多い。)
日時: 2007年05月22日 13:57 | パーマリンク
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://dp31256841.lolipop.jp/main/mt-tb.cgi/8
